文月遊亀 memo*

日々のこと、音楽や本のこと、心の赴くままに書いています。
簡単な自己紹介はプロフィールにて。

コメント大歓迎です。ピンとくる記事がありましたら気軽に書き込んでいただけるとうれしいです。
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9月30日(火)9月も終わり

今日は退職日だ。
雨のなか、健康保険被保険者証を郵送しにいく。
平日の昼間に街を歩いていると、3年前の、あの半年間を思い出す。あのときの気持ちを思い出す。

わたしは一人みんなと別れ、天国から地獄の酷い職場を経験し、そしてまた、毎日日曜日状態になった。

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昨日、NHKの番組で、勝間和代さんが言っていた。
・怒らない、
・愚痴らない、
・妬まない、
…ひとつ、やってみますかね。

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ああ、9月も終わる。
8月が終わったのを覚えていない。いつの間にか大好きな夏が終わっていた。

まったく日にちの感覚がなくなっている。
時間が、するするっと、すり抜けていく。早すぎて、つかめない。

| 思ったり考えたり | 21:30 | comments(3) | trackbacks(0)
8月15日(土)それで十分

知っていることのすべてを言わない。
思っていることのすべてを言わない。

半分ほど言えば十分。
お互いがすべてを言い合えばわかりあえるわけではないもの。

わかりあうって、何だろう。

| 思ったり考えたり | 10:49 | comments(0) | trackbacks(0)
8月14日(金)底抜けに

明るい人に、なりたい!
どんなことがあっても、どんなときも、すかぁっとした明るい人で、いたい!

| 思ったり考えたり | 09:45 | comments(0) | trackbacks(0)
8月11日(火)欲張り

どうしてこんなにも真面目に、こんなにも一生懸命に生きているのに、こんなにひどい人生になってしまったんだろうなぁ…(いきなりすみません)。

それは、わたしが欲張りだから、なのです。
その徴候は、18歳くらいからあったものね・・・(人生に影響を及ぼすような大きな出来事としては)。

欲張りをやめたら幸せになれる。なれていた。

一つしか選べないなんてこと、子どもでもわかってること。
それがわからないとは、どれだけオツムが弱いのか。

一つを選んだら、もう他を選ぶことはできない。それが人生。

今更遅いけど、もう欲張りはやめろ。やめるんだよ。

だってこんなこと書くの、嫌だもの。
楽しいこと書きたいもの。



| 思ったり考えたり | 18:02 | comments(0) | trackbacks(0)
2月19日(木)村上春樹「エルサレム賞」スピーチ
村上春樹さんの「エルサレム賞」受賞演説を色々な方が訳されているようです。
ある方の訳。勝手ながらリンクをはらせていただきます。

一部、抜粋。

「高く、固い“壁”と、それにぶつかると割れてしまう“卵”があるとき、僕はいつも卵のそばにいる」
 
ええ、どんなに「壁」が正しく、どんなに「卵」が間違っていようとも、僕は「卵」のそばに居続けます。どこかの誰かが「何が正しくて、何が間違っているのか」を決めるとき、それはおそらく時間と歴史が決めるのでしょう。けれどもし、どのような理由があろうとも、壁のそばに立って仕事をする小説家がいたとしたならば、その作品にはどんな価値があるというのでしょうか?
 
このメタファー(暗喩)はいったい何を意味しているのでしょうか? それはいくつかの場合において、とてもクリアで単純です。高く固い「壁」とは、爆撃機であり、戦車であり、ロケット砲であり、白リン弾です。そして「卵」とは、それらに壊され、燃やされ、撃たれる非武装市民……、これがその暗喩が意味することのひとつです。
 
 (中略)

僕が小説を書く理由は、ひとつしかありません。それは個々人の魂の尊厳を立ち表わせ、光りをあてることです。「物語」の目的とは、システムが僕たちの魂を蜘蛛の巣のように絡め取り、その品位を落とすことを防ぐために、警戒の光りをあて、警鐘を打ち鳴らすことです。

僕は強く信じています。物語を書きつづること、人々に涙や慟哭や微笑みをもたらす物語を書くことによって、個々の魂のかけがえのなさをはっきりさせようとし続けること、それこそが小説家の仕事であると。

(中略)

僕たちは誰もが人間であり、国籍や人種や宗教を超えていく個人であり、システムと呼ばれる固い「壁」に直面する「卵」だということです。どう見たって僕たちに勝ち目はなさそうです。壁はあまりにも高く、あまりにも強く、そしてあまりにも冷たい。もし僕たちに勝利の希望がいくらかあるとすれば、それはかけがえのない独自性を信じ、自分と他の人々の魂とを互いにつなぎ合わせた「暖かさ」に頼るしかありません。 

少し考えてみてください。僕たちはそれぞれ、いまここに実態のある魂を持っています。システムはそれを持っていません。僕たちはシステムが僕たちを司ることを許してはなりません。僕たちはシステムがひとり歩きすることを許してはなりません。システムが僕たちを作ったわけではない。僕たちがシステムを作ったのです。
何だか長々と引用してしまいましたが(太字は引用者による)、まあともかく……。

グッときました。
受賞を辞退せず、現地で語ることを選んだ春樹さん。
文学者が「卵のそばにいる」と力強く語ってくれることは、同時代に生きる者として、大変心強いことです。誇りに思います。
| 思ったり考えたり | 23:53 | comments(0) | trackbacks(0)
1月21日(水)オバマ大統領誕生
深夜、希望の星、期待のリーダー、オバマ大統領が誕生。
まさに歴史的な瞬間。ベルリンの壁崩壊のときみたいな高揚感を覚えてしまった。

中学のとき、英語の授業でキング牧師の演説を聞かされ、涙が出そうになった。
その46年後、本当に黒人の大統領が生まれるなんて。
世の中捨てたもんじゃない。

一人ひとりが責任をもって、ものごとに関わっていくこと。連携すること。
オバマ大統領はあの真摯な口調で語りかけていた。
日本人であるわたしに語りかけているわけじゃないのに、胸に響くものがありました(日本人としてこんな経験したことないんだけど。残念なことです)。

アメリカがどう変わるのか、期待したい。
わたしたちの国も、わたし自身も、理想に向かって歩んでいかなければ、という思いを新たにした日でした。

| 思ったり考えたり | 23:29 | comments(0) | trackbacks(0)
6月10日(火)まだまだ連合赤軍あさま山荘
ああ、気がつけばあさま山荘の映画のことばかり考えている。
あの音楽が頭の中で響いている。
あのふくれあがった顔が頭に浮かぶ。

だって、衝撃だった。
永田洋子は死刑囚として今も独房で生きている。調べてみると、本も出している! これは読んでみたい。
坂口弘も同じく死刑囚として生きており、やはり本を出している。これも読みたい。彼は俳人でもあるようだ。

この間の記事で、「勇気がなかったんだよ!」について書いたけど、うまく書けなかった。
ああでもないこうでもない、とずっと考えている。

つまり監督は、彼らの純粋な気持ちは尊重し、間違った方向に行ったこと、それを正せなかったことが問題だったと、そう言いたいんだろうか。
それは確かにそうだと思う。
そしてそういう愚かな人間の性というやつを描きたかったんだろうか。

わたしはそもそもこの事件についてほとんど何も知らない状態であったからピンとこなかったのかもしれない。
どうやらこれまでこの事件については、彼らを絶対的な悪として扱ってきたようで。語られるときはいつも権力側からであり、連合赤軍側から描いたということ、それだけで大きな価値があるということのようだ。

監督は、ただもう彼らが一体何を考え、何をしたのか、それを実録として残したいという思いだったんだろう。
それで見た人が色々考えるきっかけになればそれでよいのだろう。
わたしは監督の意図通りというべきか、憑かれたようにこのことばかり考えている。

あの事件のとき、国民は警察対連合赤軍という構図を面白がり、警察をぶちのめせ! という思いでテレビを見ていた人も多かったという。
しかしその後、リンチ事件が明らかになるにつれそうした声は彼らへの批判攻撃に変わり、事件は収束していったそうだ。

彼らはちょうどぴったり、親の世代なのだ。
しかしうちの両親はノンポリもいいところで、母親はあさま山荘事件当時、わたしを妊娠中。テレビもろくに見てもいなかったとか……なんて平和で呑気な妊婦なんだ…信じられない…。
ちょうど祖父(わたしの曽祖父)が亡くなって実家に帰るときだったとか。大阪で号外をもらってびっくりしたとか。そんだけ…!?

だから「団塊の世代」で思想を一括りにすることなんて到底できないよね。
そもそも彼らに思想はあったのか? とも思うし。小難しい言葉を使って革命について話し合うシーンはあったけど、結局彼らが何を考え、何をしたかったのか、明確に伝わってはこなかった。
学生運動だって集会だって、みんながやるからわたしもっていう、そういうノリが濃厚だったに違いない。
(ちなみに父のノンポリぶりも激しい。大学で演説する左翼学生に、君たちの言葉は全然わからないと言ったとか……)

いやー、しかし娘はすっかり興味津々ですよ。遅まきながら火がついてしまった。もう彼らの年齢を大きく超えてしまったけれど。
You Tubeで当時のニュース映像を見たり、ネットで色々調べたりしている。ついつい。
もともと、じつをいえばちょっと憧れみたいなものもあったし。
だけどほんとに単なる憧れだけで何も知らなかった。だから山岳ベース事件の実態は衝撃的だった。
こういう奴が一番危険なわけだけど、あの時代に生まれていたら、デモくらいは参加していただろうな。
でも、もし自分の兄弟や子どもがそっちの世界に行ってしまったら…と想像すると、とても怖い。

彼らは何がしたかったのか。なぜあんなことになったのか。
そして彼らは今。
連合赤軍は今。
知りたいことが次から次へとわいてきて困ってしまう。
| 思ったり考えたり | 23:28 | comments(0) | trackbacks(0)
4月15日(火)続・後期高齢者医療制度について思うこと
しかしまあ何と評判の悪いこと。そして混乱の極みであること。
4月1日に書いた後期高齢者医療制度のことです。ニュースは毎日ひどい制度だ、高齢者が困っている怒っている、と伝えている。民主党は制度の廃止を求め始めた。

この制度って、じつは2年前の6月に決まったことなんだよね。ちょうど私が辞めるころ。あのころ、まさか実際に始まってからこんな騒ぎになるなんて、まったく想像できなかった。

何しろ、わたしたちにとって「新しい高齢者医療制度の創設」というのは積年の願いであった。「老人保健制度」というのが悪者で、いつもいつも「新しい高齢者医療制度の創設」を主張してきた。もう耳にたこ。
入ったばかりのころ、老人保健制度という制度自体も、何が悪いのかもちっともわからず、ノートに書いて勉強してたっけ(それでもよくわからなかった…)。

だから2年前、法案が通って成立したことは、主張が反映されない部分こそあれ概ね評価できる、みたいなスタンスであり、喜ばしいことであったのです!

しかし1年前からこの業界と違うところで仕事をしてみたら、だれもこの制度のこと知らなくてびっくりしたのだった。
そうか、わたしにとっての常識は常識でないんだな…などと思っていたのだけど、2年前に決まって、この4月から施行されるまでの間、マスコミに取り上げられることがほとんどなかったから、知らなくて当然だよね。

池上彰さんが先日、朝日新聞夕刊の「新聞ななめ読み」というコーナーで、この制度のことを例に、記者の資質として必要なものは想像力ではないか、ということを書いていた。
少し引用します。
「後期高齢者」という用語は、学者や官僚の間で75歳以上の人を年齢で分けるために使われてきました。学者が使用している上では問題がなくても、自分が「後期高齢者」と名指しされたら、どう思うのか。担当記者には、そんな想像力が欲しかった。
そう、わたしは「学者や官僚」側の人間であったので、まさに便宜的に使っていたのです。
にしても、なぜもっと嫌悪感だとか違和感を覚えなかったのだろう、と、ここのところこのニュースを見るたびに考えてしまう。
しかしまあ、それこそ大学を卒業し、何も知らず初めて社会に出てからずーーっと「後期高齢者」って言葉は普通に使っていたから無理もないという気もする。
あのころは今より高齢者から遠かったし。

変だなーっていう言葉はもっともっといっぱいあった。
役人の生み出す言葉は本当にわかりにくくてセンスがない、といつもいつも思っていた。嫌だった。そうだ、そういう感覚がわたしは嫌だった。

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わたしは機関誌で、新聞社の論説委員とわたしたちのトップとの対談だとかインタビューだとか、高齢者医療制度に関する特集をたくさんやって、「高齢者にも応分の負担を」なんて主張を平気で「そうかそうかもな、ふんふん」と素直に聞いて記事にしたりしていたもんです。
結局わたしたちにとっては医療費の財源をどこに求めるか、ということが大事なのであり、自分たちにだけ負担を求められるのは困る、ということを主張しなければならないのだった。わたしはそういう立場の人間だった。

といって、「自分たち」といったって、当事者団体とは違って、実際に自分の懐が痛むわけではない。
だからなんだかどうも熱が入らず、のほほん、としている職員が多かったように思う。わたしが実際そうだった(もちろん熱い人もいましたが)。

むしろ今の方がずうっと問題意識が高くなっているような。
そして一体、あの組織の役割はなんだったんだろう、とも思うのだ。
何ができるのか。いや何をしているのだ、もっとできることがあるんじゃないのか、と問いただしたい気持ち。
情報がわんさか入る立場にあって毎月記者会見もしていてテレビCMも持っていて、もっともっと色んなことができるのに、というもどかしい気持ちもある。
ほんとに、もどかしい。もっと役に立つ情報を流してほしいよ。
機関誌を読んでいると、正直、腹が立つ。不親切で。情報を流しているだけ。編集者の主張とかわかりやすく伝えようという意志が伝わってこない。

おっと熱くなりました。それで話を戻すと。
確かに自分が75歳以上で、今まで一度も「後期高齢者」なんて言葉を聞いたこともなく、制度の説明もろくにされず、いきなり「あなたは後期高齢者です。来月から保険料を徴収します」なんて言われたら驚くだろう。これに社保庁の年金問題も重なるからなおひどい。ニュースでよく言われているけど、年金は支給しないわ、保険料は徴収するわ、では確かにあんまりだ。
それに、そうだなあ、よく考えてみたら、ひどいよね。「後期」って。

実際に作る側ではないとはいえ、制度創設に向けて主張していくという意味で、その端っこの端っこに関わっていたのだわたしは。
かつての同僚たちはどんなふうに考えているのだろう。この騒ぎをどう受け止めているのだろう。聞いてみたい。

なんだか長々書いたわりにはちっともまとまらないけど、4月に入ってからずっとこの制度のことがひっかかっている。驚いたり考えさせられたり思い返したり、ぐるぐるしている。

| 思ったり考えたり | 23:41 | comments(0) | trackbacks(0)
4月1日(火)後期高齢者医療制度
今日から「後期高齢者医療制度」が始まった。
わたしは10年間その業界の人だったから、「後期高齢者」という言葉は、何の違和感もなく、まったく便宜的に「75歳の高齢者を指す言葉」として普通に使っていた。
「前期高齢者」「後期高齢者」って言葉は、本当に日常用語だった。「後期高齢者医療制度の創設を目指す」なんてのは、毎日目にする、耳に馴染むフレーズでした。

ところがここ数日、新聞の投書欄で、「後期高齢者」とは一体なんという呼び方か、という高齢者からの声が掲載されていて、驚いたのだ。「どきっとする」とか、「早く死んでくれといわれているようだ」という声だった。
ありゃー、全然気づかなかった。そんなふうに受け止められるんだ、とびっくりした。

その立場にならないとわからないことって絶対あるし、役人の生み出す言葉って本当にセンスがないよなあ、でもその世界で生きていると使わざるを得ないから、日常語になるわけで…なんてことを考えていたら、たった今、福田首相が、通称「長寿医療制度」とするよう舛添要一厚生労働相に指示したというニュースが飛び込んできた。

そりゃまあ「長寿医療制度」のほうが良いですね。明るいしわかりやすいし。
でも厚生労働省や総務省および関連団体はずーっと「後期高齢者制度」って言ってきたから、さぞや現場は混乱するだろうなー。目に浮かぶようだ。
| 思ったり考えたり | 21:45 | comments(0) | trackbacks(0)
1月21日(月)自分って? 友情って?
わたしは自分のことを、人の気持ちがわかる、いやそれは難しいか、わかろうと努める人間だと思っている。つまりいわゆる共感型。
そしてこれまで周りの人の自分に対する人物評もおおむねそうであった。
また、「よくしゃべる」などといわれたことは一度もない。

10年間、1つの組織に勤めて、わたしに対する客観的な評価は当然ながらある程度定まっており、そのなかで過ごすことはとても安心感があった。気づかなかったけれども。
もちろん皆が皆良い評価を持ってくれていたわけではなかっただろうし、自分で思っている自分と違うふうに見ている人もいただろう。当然ながら。
しかし気心の知れた、自分のことをある程度わかっていてくれている人たちは、確実に、いた。だからそうではない人から納得のいかない評価を受けたときでも、わりに平気で、心の均衡を保っていられた。

しかし新しい場所に身をおいてみると、思いもかけない評価を下されることがあって、そんなとき、わたしは自分の気持ちをどこに持っていったらよいかわからなくなることがある。

共感型、というのは自分で思っているだけではないか、とか、よくしゃべる、とか、そんなふうに言われると、驚いてしまって、わたしという人間をちっとも理解してもらえていないと感じて、傷つくのだ。自分という人間がどこかにいってしまうような気がして、心がざわざわする。自分で自分が誰なのかが、わからなくなってしまう。

しかし冷静に考えてみたら、確かに共感型だなんて自分で思っているだけなのかもしれない。そんなこと断定することはできないかもしれない。
よくしゃべる、というのは、相対的に見たら、確かに今の職場ではよくしゃべるほう…なのかもしれない。いや、朝から晩までほとんどしゃべらず、前の職場に比べれば、わたしとしては全然しゃべっていない、むしろしゃべれず辛い、という感覚なのだが。

うーん、正直、わけがわからなくなるよ。
人と人とがわかりあうには、どうしてもある程度の時間が必要なのかなあと思う。
長い付き合いの人と会うと、自分のことをわかってもらえているし、自分の相手のことをわかっているから、ほっとする。そういう基本的な下地があると、話もしやすい。下地がないと、まず自分をわかってもらうために苦心しなくちゃいけない。

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ただ、長く付き合った人であっても、立場が変わるとその関係を保持できなくなることがある。それは今回、仕事を辞めて初めて知ったのだけど。
ものすごく悲しくて、傷ついて、人間不信に陥りそうになったけど、今では仕方がないと思えるようになった。
きっと本当に縁がある人ならば、また再び仲良くできる日がやってくる。

だから友情って、付き合った年数じゃないんだよね。長ければ長いほど良い付き合い方、深い付き合い方ができるというわけでもない。

たしか渡辺葉さん(椎名誠氏の娘さん)の『ニューヨークで見つけた気持ちのいい生活』だったかと思うんだけど、友だち関係って、雨のしずくみたいに、くっついたり離れたりして、離れっぱなしの場合もあるし、またくっつく場合もある、みたいなことが書いてあって、やたらと納得した記憶がある。

今こそよくわかる。
わたしの状況が変われば、また仲良くできるのかもしれない。変わらなくても、仲良くできるようになるかもしれない。はたまた相手の状況が変わって仲良くできるようになるかもしれない。

いつかまたきっと、縁があればきっと、くっつくよね。
| 思ったり考えたり | 21:39 | comments(2) | trackbacks(0)
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