文月遊亀 memo*

日々のこと、音楽や本のこと、心の赴くままに書いています。
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10月12日(水)わたしの読んだ原発本から

本屋さんには新刊の原発本が山積みだけれど、わたしが読んだのはそれ以前に出版されたものばかり。
後知恵ではない真実を得たいからなのかもしれない。

読んだ本。
 これが原発だ―カメラがとらえた被曝者』(岩波新書)樋口健二著
プルトニウムの恐怖』(岩波新書)高木仁三郎著
原発事故はなぜくりかえすのか』(岩波新書)高木仁三郎著
いのちと放射能』(ちくま文庫)柳澤桂子

読めば読むほど、原発と人間は共存できないと思い知らされる。
,鯑匹鵑任錣るのは、事故がなくても、原発がある限り作業員の被曝は避けられないということ。
そんな仕事があってよいわけがない。この一点だけでも間違っている。
樋口さんは、自ら防護服を着て原発内部を撮影し、悲惨な現実を伝える。頭が下がります。
炭鉱の過酷さや四日市ぜんそくなど公害についても書かれていて、近代のエネルギー産業がいかに多くの労働者や住民の人間性を無視して発展してきたかがわかる。

第二次世界大戦中、広島にあった毒ガス工場で危険性を知らされず犠牲になった人たちについても触れられています。
原発も同じ。
こんなことがあってよいのか! わたしは憤りと悲しみを禁じえない。

△鉢は、企業や大学での地位を捨て、反原発の立場から市民のための調査機関や運動を率いた在野の核科学者、高木仁三郎さんの本。

△30年前に出版された本。
原爆は、アメリカにおいて「マンハッタン計画」により、ナチスに負けじと作られた。
平和的な原子力利用は、「経済性も安全性も大きな問題であり、そして何よりも結局その技術の導入が人びとを幸せにするものでなくてはなんにもならない。ここが人殺しの兵器を開発するのと決定的に違うところだった。だが、マンハッタン計画から原子力利用計画へと、核技術を引き継ごうとした人びとは、このかんじんな点を忘れ、マンハッタン計画のやり方を踏襲した。ひと口にいえば、それが原子力開発40年にして、「核」が達成した成果よりもはるかに多くの難問に私たちが直面していることの歴史的背景である。」

30年前に出版された本だから、この「原子力開発40年」というのは「原子力開発70年」ということになるわけだけど。
そもそも原子力はこんなふうにして開発された。人殺しのための核技術を踏襲して! 慄然とします。

は、高木さんがガン闘病中に残した最後のメッセージ。2000年の夏に、死期を意識しつつ最後の力をふりしぼって録音テープを残され、それを起こした作られた本。

この本が面白いのは、原発を論じながら、日本の文化全体について論じている点。
言われてみれば、確かに、日本人の性質や文化的土壌と原子力の発展は切り離せないわけだけど。
単にシステムを安全に動かすということではなくて、「真に我われが安全に生きられる文化というのはどういう方向にあるのか、それを考えるところから安全文化というものを構築していく」という考え方に深い洞察力を感じました。

「原子力の名において技術者の主体性がそがれるようなプロセスがある」「そこにはカルチャーがない」(P115)という指摘、とても興味深かった。

高木さんは、日本には「公共性」がないのではないか、と書かれるのです。
企業の体質も、日本独自の「私小説」にみられる耽美的で破滅的な美のありようも、公共性のなさという点でまったく同じなのではないか、と。

「友へ 高木仁三郎からの最後のメッセージ」から抜粋。

なお、楽観できないのは、この末期症状の中で、巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険でしょう。JCO事故から原潜事故までのこの一年間を考えるとき、原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物がたれ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです。

後に残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な終局に英知を結集されることを願ってやみません。私はどこかで、必ず、その皆さまの活動を見守っていることでしょう。

最後まで科学者として反原発の姿勢を貫き、この国の将来を危惧していた高木さん。今の状況を見たら何とおっしゃるか…。
わたしたちは、原発がどれだけ危険なものか、いやというほど思い知った。本当の安全文化を構築しなくては。そのために一人ひとりが、考え、行動しなくては。

長くなってきたのでい砲弔い討呂泙晋綟書きます。

| 原発 | 23:45 | comments(0) | trackbacks(0)
10月1日(土)原発のこと

3.11の地震で福島第一原発の事故があってから、原発のことが初めて身近になった。
本当は、もっと早く考えていなければならなかった。チェルノブイリ、東海村の事故、世界で、日本で、原発事故はすでに多発していた。その危険性を訴え続けた科学者もいた。
でもわたしは真剣に考えたことはなくて、電気がどのように作られているかすら知らなかった。

しかし今回、関東に住むわたしにとっても、原発の問題が、放射能の危険が、他人事ではなくなった。
とても無関心ではいられない。

色々な本を読んだ。映画を見た。テレビ番組を見た。

発電コストは原発が一番高い。それなのに税金を投入して安くみせ、50〜60年代、国は原発を「安全で安価でクリーン」と宣伝し、地元住民の抵抗も権力で退け、推し進めてきたこと。
微量の放射能でも、ガンを引き起こす可能性があること。胎児や小さい子どもにとっては特に影響が大きく、DNAの傷や突然変異が子孫に伝えられ、蓄積していくということ。
原発で働く作業員たちは日々被爆しながら仕事を行っていること。
原発は事故だけでなく廃棄物にも大きな問題があること。使用済み燃料は、数万年間(!)、生物から隔離しなくてはならないこと。その最終処分場に原発保有国は苦慮していること。
つまり放射能は何万年後の子孫や生命体にまで影響を及ぼすものであり、石油やガスなど他のエネルギーとは次元の違うおそろしいものであるということ。

知れば知るほど、驚くとともに、悲しみと怒りの気持ちが湧き起こってきた。
斉藤和義さんが「全部嘘だったんだな やっぱバレちまったな」って歌っていたけど、
本当にそういう気持ちになる。

国はどうしてこんな危険なものを推進してきたのか。いったい、何のために。国づくりって何なのか。豊かさって何なのか。

原発はいらない。人間は核とは共存できない。そう思うに至った。

わたしにできることをしようと思い、デモにも行った。9月19日、人生初のデモ参加。
明治公園にて、原水爆禁止日本国民会議などが結成した「さようなら原発1000万人アクション実行委員」開催の集会に参加し、
大江健三郎さん、落合恵子さん、山本太郎さんらのお話を聞き、
「原発反対! プルトニウムはいらない! 子どもを守ろう! いのちを守ろう! 海空山を、ま、も、ろう!!」と言いながら原宿〜渋谷の街を練り歩いた。
大きな声で掛け声をかけてくださるおじさんがいて、みんなでその後に続いた。最初はちょっと恥ずかしかったけど、声を上げることができただけでも(本当に自分の「声」で訴えた)、非常に清清しい気持ちがしたし、たくさんの人が同じ気持ちでいるということを頼もしくも感じた。
そのあとの報道によれば、この集会には6万人もの人が集まったという。

だけど、わたしが不思議に思うのは、脱原発を訴える市民の声は、
それほど大きなうねりにはなっていないんじゃないかということ。
ドイツは今回の福島の事故を契機に市民運動が盛り上がり、今後10年間かけて原発をなくすことに決めた。
スイスも2024年までに脱原発することを先日決めたばかりですよね。

当事者である日本は、なぜ決められないのだろう。
巷には、ともすれば、この期に及んでもなお、「原発はいらない」と言いづらいような、そんな空気すらないだろうか。
白い目で見られるような、考えすぎだとかノイローゼだとかいわれるような。
そのことをとても不思議に思う。

日本人は、もっと怒っていいんじゃないか。
原発をなくせと訴えていいんじゃないか。
どうしてそれをしないのか。

「デモとかしてる人たちは原発に代わるエネルギーを提案できるのか?」
「原発がなくなったら失業者が増えるから困る」
「3.11後に急に脱原発派になるって短絡的じゃない?」
…こんな意見を耳にしたこともある。

「デモとかしてる人たちは原発に代わるエネルギーを提案できるのか?」に対して思うこと――
原発に代わるエネルギーを提案できなければ、「原発はいらない」と訴えてはいけないの?
原発は危険すぎるからやめよう、その代わりみんなで電気の使用量を少なくするように努めようと呼びかけ、原発に代わるエネルギーを、エネルギーの専門家や政治家に真剣に考えてもらおうと訴える…これが市民にできることだと思う。

「原発がなくなったら失業者が増えるから困る」に対して思うこと――
これこそが原発の罠というか仕掛けというか…
過疎化に悩む村を活性化させるという名目で原発は建設されてきた歴史があるのですよね。仕事とお金を与えられるとものが言えなくなる。それは当然のことでもある(それでも「いのちのほうが大事」と戦った方もたくさんいらっしゃった)。
だけどわたしたち人類にとって本当に大切にしなくちゃならないことは何かってことです。それを今こそ考えなくちゃいけないと思う。
お金なのか、いのちなのかを。

「3.11後に急に脱原発派になるって短絡的じゃない?」に対して思うこと――
急に原発反対になって何がいけないのかな?って思う。
あんな事故があって、関心をもつようになる。何もおかしくないと思う。
いま原発はいらないと訴えている人たちは、わたしを含め、別にもともと推進派だったわけではない。
知らなかった、知らされていなかっただけ。推進派でも反対派でもなく、原発があって当たり前と思わされちゃってきただけ。

声を上げはじめた人たちに対して、そんな茶々を入れている場合ではないと思うんです。
反対だとか推進だとかで戦っている場合じゃない。
本気で、みんなで話し合わなくちゃいけない。

原発や放射能のことを知りたいと思って色々な本を読み、
恐ろしい現実を知りました。
だけど人間にとって本当に大切なことは何かということを考えさせられるような素晴らしい考え方や素晴らしい言葉にも出会いました。

まだまだ書きたいことがたくさんあります。
また書きます。

| 原発 | 22:26 | comments(2) | trackbacks(1)
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