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交換には6週間かかるとのことでしたが、9月6日(木)に新しいのが届きました!
4日後には到着というありがたいスピーディさ!
さっそく箱を開けると…ちっこい!
文庫本と並べるとこのくらい。
説明書のたぐいは一切なし! さすがApple。
仕方ないのでAppleのHPに行って、パソコンのi-Tuneを何とかバージョンアップさせて、
新iPod nanoに同期させて充電して…
さっそく聴いてみましたが、何これー、音いいじゃーん!♪
ちっちゃいのにいい仕事します。
Appleの製品は説明書がなくても何となく使い方がわかる、というところがいいんですよね。
シンプルで、そして、楽しい。ワクワクする。
人と機械との楽しい関係。
ああ、Apple製品の良さを思い出しちゃった(初代iMacユーザーだった)。
iPadとかiPhoneも使ってみたくなる。
大きさは約半分になり、容量は4G→8Gと倍になりました。なくさないようにしなくちゃ。
クリップになってるのも便利です。
いやいや不思議だわぁ。わたしったらわらしべ長者みたい(←ちょっと違うだろ)。
まだ戸惑うことも多いけど徐々に慣れるでしょう。
大切に使おうと思います。
※後日追記(9月17日)
日本時間で9月13日、iPhone5発売の発表がありました。それに伴い新iPod nanoも発表。
http://www.apple.com/jp/ipod-nano/
細長いじゃん! 大きさ初代に戻ってるじゃん!
やはりこの小ささでは逆に使いにくい、なくしやすい、という反省があったんでは…?
うーん。初代→今回の新iPod nanoだったら、
その間の試行錯誤はすっとばしておいしいとこどりだったんじゃないかという気がしてならないよ…。
そうはうまくいかなかったねぇ…
別に普通に使えていたんだし、何も急ぐことはなかった。
ほんとに交換してもらえるのか、好奇心や試してみたい気持ちが勝ってしまったけど、
もう少し様子を見ていればよかったな。
今後の教訓にするとします(^^;)/
2005年12月8日に購入して以来愛用してきた、初代iPod nano。
わたしは右の白いほうの4Gを使ってました。
買った日にこのブログにも書いてます。
2005年12月8日(木)ジョンレノンとパールハーバー
先日、ふとした弾みで水没させちゃったんです。
すごくショックで、処置の仕方をネットで調べてみたんです。
そしたら! どなたかのブログで衝撃的な情報を発見!
初代iPod nanoを無料交換してくれる!?
AppleのHPより(↓)。
Apple では、ごく稀に iPod nano (1st generation) のバッテリーが過熱して安全上の問題を引き起こす可能性があることを確認しております。対象となる iPod nano は 2005 年 9 月から 2006 年 12 月の間に販売されたものです。
この問題は、製造上の欠陥があるバッテリーを生産した特定のバッテリーメーカーに原因があることがわかっています。実際に過熱事故が発生する可能性はきわめて低いとはいえ、バッテリーの経年に伴ってその可能性は高くなります。
iPod nano(1st generation)をお持ちのお客様は使用を中止し、下記の要領で無料交換手続きをされることをおすすめいたします。
初代iPod nanoはもう製造されていないから、最新のiPodと取り替えてくれるらしい。
こういうの、何というのでしょう? 晴天の霹靂? それは悪いほうか。
棚からぼた餅? 渡りに船? いやどれも違うね。
まぁなんでもいいんだけどさ、ともかくラッキーですよね。
さっそくネットで申し込み。
そして先ほど、宅急便の方が引き取りに来られて、どこにも一緒だったあいつと、お別れしました。
ラッキーと喜んでいたけど、やっぱり寂しい。この細長い形にも愛着があった。
どこに行くにも一緒だった。NY、沖縄、パリ、メルボルンにも連れて行った。
乗り物の中や知らない街で大好きな音楽を聴くのが大好きだった。
カバーもせずに使っていて(買いに行ったときにはもう次世代仕様のしかなくなってたの)、
裏側の銀色の部分なんて傷だらけになっちゃってさ…ごめんね。
ありがとう、わたしのiPod nano。
6年9か月の間、存分に楽しませてくれて、どうもありがとう。
新しいやつが来るのは6週間後とのこと。それまで電車で音楽聴けないのは困ったなぁ。
到着したらまた報告します。
8月30日の記事の続きです。
戦争を記憶していくにはどうしたらいいのか。
まず大事なのは歴史教育。
同じ敗戦国でも、日本とドイツの戦後処理、歴史教育は随分違うとよく言われる。
『原発とヒロシマ――「原子力平和利用」の真相』(岩波ブックレット)では
過去と厳しく向き合うドイツの歴史教育に言及されていて、
わたしたち日本人のあり方についてこう記される。
過去から深く学んだ重厚な歴史観をもたない国民は、現在の問題に対する分析力の点でも、自分たちのあるべき未来像を描く展望力の点でも、きわめて貧困にならざるをえない。日本の原発問題や沖縄米軍基地問題への対処の仕方は、自分たちの歴史観、歴史教育のあり方と根源的には深くつながっていることを、わたしたちはここで立ち止まってしっかりと熟考してみるべきではないか。
元ドイツ連邦共和国大統領ヴァイツゼッカー氏は、
「過去に目を閉ざす者は、未来に対しても盲目になります」と言いました。
上記引用と同じことを言ってますよね。けだし名言。
日本の歴史教育における態度が、今の原発問題や沖縄米軍基地問題、
オスプレイの問題と深く結びついているのですね。
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今、近隣諸国との領土問題があっちやこっちで起こっている。
これもまた、わたしたちが歴史と向き合うことを怠ってきたせいではないのかなと思える。
池澤夏樹さんの『異国の客』で読んだ、
ヨーロッパの記憶装置というのがとても印象的だった。
同じくドイツのレナータ・シュティーとフリーダー・シュノックの案では提供された土地をバスの発着場にする。「バスの目的地は、ドイツ国内およびヨーロッパ各地に点在しているかつての収容所跡で、いずれもノンストップの直行便でスケジュールにきちんとしたがって運行される。バスは鮮やかな赤で塗装され、その前面にはアウシュヴィッツやトレブリンカといった地名が行き先表示として大きく提示される。その禍々しい固有名を戴いたまま、合計80台近くの真赤なバスがベルリンの街中を行き来するのだ」。
赤いバスのメッセージは要するに、「忘れるな!」ということだ。見るたびに思い出せということだ。見る機会を増やすために赤い色に塗って毎日運行する。忘れてはいけないことがあり、そのために記念碑が作られる。最も能動的な記念碑として、赤いバスが普通のバスに混じって動きまわる。
誰か日本で「従軍慰安婦」の記念碑の過激な案を提供しないだろうか。(P145〜146)
記憶するための工夫が街に散りばめられているとは!
あぁ、ドイツではこんなふうに知恵を絞り、過去を忘れまいとしているのか…。驚いた。
広島、長崎、福島。
まさに「忘れるな!」である。
歴史教育はもちろん、街に仕掛ける記憶装置など、
あの手この手で、何とかして忘れないようにしなくちゃいけないんだと思う。