文月遊亀 memo*

日々のこと、音楽や本のこと、心の赴くままに書いています。
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7月22日(日)首相官邸前デモに行ってみた

7月19日(金)、疲れた体に鞭打って、小雨混じりの中、噂の首相官邸前デモに行ってきました。
地下鉄・霞ヶ関から外に出て、デモっぽい音のするほうへ…
反原発テント?みたいな名前のついたテントのあたりで女性から白い風船をもらって、
「デモに参加するにはどこに行けばよいのでしょう?」と聞くと、
「首相官邸はあっちですよね。人がいっぱいでしょうけどね」とのこと。とりあえずそちらのほうへ。

その間にも、太鼓を叩いて「再稼動反対!」と言いながら練り歩く数人の人たちが通り過ぎる。

歩道は人でいっぱい。
白い風船を手にした人たちがずううっと前のほうまで…どのくらいの人数なのか皆目わからない。
これ以上前に進めないので、立ち止まる。ここは国会正門前、のようだ。


「再稼動反対!」「再稼動反対!」
若者、年配の方、子連れの親子、会社帰りと思われる女性、
まさに老若男女。色々な人たちが声を上げている。

初めてなので要領がわからないけど、とにかく「再稼動反対!」と言い続ける。
時刻は6時半。これって8時で終わるんだったよな。これから1時間半立ちっぱなしでこれを唱えるのか…。

風船の持ち手はパンダだった。そういえばパンダ死んじゃったね。残念だった。あれ? 皆さんの見ると、色んな動物がいる。へー。

あ、取材受けている人、写真撮ってる人もたくさんいる。

車道を車やバイクが通り過ぎていく。
i-padをいくつか車窓に設置した車。電光掲示板のようにして「脱原発」とか「原発反対」といった文字が流れていく。すごい!
自転車の人もたくさんいた。家族連れだったり、カップルだったり、友だち同士だったり。
皆さん拳を挙げて「再稼動反対!」と唱えながら。
わたしたちも手を挙げて応える。

正門あたりに10人くらいの人が立っている。国会で働く人たちなのかな?

てなことを考えながらひたすら「再稼動反対!」と叫ぶ。
途中、「再稼動犯罪!」という声も混じっていた。

段々疲れてきて、何も考えずに唱えるだけという状態に…。
そもそも「再稼動反対!」っていうか「原発反対!」って言いたいんだよな…。大飯だけが問題じゃないんだから。
皆さんそう思っているだろうけど。

と、隣のおばさんが飴を差し出して「なめますか?」と。
や、優しい…ありがとうございます。黒糖の飴。甘さが沁みます。

飴に活力を得てもうひと叫び。
8時きっかりに終了。

けっこうしんどいな…というのが正直な感想。
太鼓や鳴り物の音に励まされて何とか唱え続けたけど。
あと車道を行く人たちの格好なども目を楽しませてくれた。

これだけ文明が発達しても、わたしにできることは、体を使うことだけなんだと改めて感じる。
それはとても弱い。叫んでも叫んでもかき消されてしまう。だからたくさんの人が集まってつながる必要があるのだけど。
「再稼動反対!」と叫ぶだけではちょっと頭使ってない感じがしてね…正直(あ、自分が頭使っていないということです。誤解なきよう)。

翌日の朝日新聞は、この日のこのデモのこと、取り上げていました。参加者は主催側発表で9万人。
鳩山元首相もデモ側に立ったんだってね。でもこの方は原発推進派だったとのことだから、
どう考えたらいいのかよくわからないけど。

金曜の夜にここに来ればデモをやっているという状況を作り出したことはすごいと思う。
これからどうなるか、だ。

| 原発 | 10:16 | comments(0) | trackbacks(0)
7月19日(木)今こそ声を上げよう(デモ+パブコメ)

わたしは昨年10月1日の記事で、
「脱原発を訴える市民の声は、それほど大きなうねりにはなっていないんじゃないか」と書きました。

しかし16日の「さようなら原発10万人集会」は参加者17万人、
3月下旬から始まった首相官邸前デモは徐々に参加者を増やし、2週連続15万人。
すごいことです。今、ようやく運動の高まりを感じます。

官邸前デモはエジプトの「ジャスミン革命」になぞらえて、「紫陽花革命」と呼ばれていたりもするらしい。紫陽花を手にした人々が集まってきていたりもするらしい。

「らしい」ばかりなのは行ったことがないからで…
明日20日(金)、ちょっくら行ってみようと思うのです。そしたらまた書きます。

このデモはなかなかマスコミに取り上げられず、
わたしはtwitterで熱い空気を感じていたのですが、
ここに来てようやく新聞(朝日)でも記事を見かけるようになってきました。

今日の朝日新聞でも大きく取り上げられていたよ。慶応大教授の小熊氏のインタビューとルポ。
「デモの文化がない」と言われたこの国で、人々が街頭に繰り出し始めた、って。

「『再稼動反対』という声には『日本のあり方』全体への抗議が込められていると思います」




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前回、デモだけでは政治は変わらないと書きました。
だけど、それとデモを批判するのは違うと思います。
16日の集会で内橋克人さんが、今の空気に警鐘を鳴らすとしてこのようにおっしゃっていました。

第一に「原発反対などと叫んでみても意味が無いという」脱原発運動へのあざけりの空気がかもしだされはじめたということです。
「原発の代わりはどうするのか、対案無く反対を言っても意味が無い」というものです。
しかしけっしてそうではありません。対案無ければ反対なしというのは、常に政府・官僚が主権者である国民市民をおどす口を封じさせるための常套手段です。ここを見抜かなければなりません。
核心となる情報を隠しておいて「お上の言うことに楯突くことはけしからん。対案を出せ」こういう仕組みです。私は承伏できません。
そうではないでしょう。人びとの魂に根づく平衡感覚とか鋭敏な危険察知能力。あるいはおよそ命ある者に必ず備わっております、畏怖心。そういったものこそが、安心社会の礎であります。


まったくその通りだと思います。
わたしは昨年漠然と感じていたことが間違っていなかったと証明していただいた気分でした。
昨年10月1日に書いたこと(↓)。

原発に代わるエネルギーを提案できなければ、「原発はいらない」と訴えてはいけないの?
原発は危険すぎるからやめよう、その代わりみんなで電気の使用量を少なくするように努めようと呼びかけ、原発に代わるエネルギーを、エネルギーの専門家や政治家に真剣に考えてもらおうと訴える…これが市民にできることだと思う。


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そしてわたしは、デモ以外にできることを見つけました。それは、パブリックコメントを書くこと!
恥ずかしながら知らなかったのです(もともとがノンポリなので疎いのです…)。
自分の意見を政府に送ることができるのです。
締め切りは8月12日(日)18:00だそうです。

ファックスでも郵送でもネットでもOK。ネットが一番簡単ですね。こちらから送れます。

ただ、
このサイトこのサイトで紹介されているように、ちょっとした書き方のコツがあるようです。
でも難しいことを書く必要もないし、長い文章でなくてもOKなんですって。
わたしたち大人にとっての「夏休みの宿題」では? ぜひ挑戦してみましょうよ!

こちらも参考になります。パブリックコメントの書き方

| 原発 | 22:50 | comments(0) | trackbacks(0)
7月18日(水)7月16日「さようなら原発10万人集会」のこと
三連休最後の16日、さようなら原発集会@代々木公園に行きました。
昨年9月16日に参加したのと同じ集会です。生まれて2度目のデモ体験。
何も持たずに一人で出かけた昨年とは違い、今回は二人で。プラカードも一緒に作って行きました。

大勢の人が広い代々木公園を埋める。
頭上ではヘリコプターが旋回する大きな音。
太陽が容赦なく照りつける中、小室等さん率いるバンドの音楽を聴き、
呼びかけ人の大江健三郎さんらのお話を聞きました。


大江健三郎さんは、昨年9月の集会に「注意深い市民」が集まったことに驚き
この運動は勝つと確信したことや、
しかし先月750万の署名を提出した翌日に、野田首相が大飯原発再稼働を決めたこと、
これについて中野重治さんの短編「春さきの風」を引用しつつ、
「私たちは侮辱されているということだ」と感じていることなどを話されました。
わたしはこれからも「注意深い市民」でいなくては、と思ったし、
そうか侮辱されているということなのかと、改めて憤りも感じた。

坂本龍一さんは、
「たかが電気のために、なぜ命を危険にさらさなければならないのか。お金よりも命が大事だ」と。
まったくその通り!

スピーチの合間に、司会者の方から「参加者は17万人」との情報が。
すごいことですね。こんなにたくさんの人が、原発は嫌だと声を上げるべく集まっている。
この場には来ていないだけで、本当はもっともっと、何倍もの人々がそう思っている。

集会の後はデモ行進に参加。
声を上げるというのは爽快なものです。
しかし今回は労組系の集団に連なってしまったため、
「最後まで戦い抜くぞ〜!」といったシュプレヒコールには少々困惑。

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わたしはプラカードに「危険な便利より豊かな不便」と書きました。
電気は便利です。スマートです。
わたしたちは大量の電気=豊かさと勘違いしてきた。
でもそれは違っていた。
しかも核分裂の熱を使った原子力発電による電気はものすごく「危険な便利」だったのです。
今こそ生活を変えたい。危険な便利よりは不便な豊かさを選びたい。そんな気持ちです。


そして、電力の使用を抑えることは原発をなくすためにすごく大事だと思う。
たくさんの電力が必要なければ原発はいらないのだから。

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集会で話を聞くことはとても勉強になります。
興味のある方はぜひお読みください。
動画も探せばたくさん出てきますよ。

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でも、デモだけでは政治は変わらない。
下の文章(7月4日の朝日新聞社説)のように、
政策の変化につなげる試みを強めるにはどうしたらいいかを考えなくてはならないんだろう。

原子力政策で国民的論議をめざす野田政権にとって、「音」ではすまない動きが今、目の前で起きている。むしろこの動きを、既存の政治回路ではとらえ切れない声を直接聴く仕組みづくりにつなげるべきである。
反原発の側も、その動きを実際の政策の変化につなげる試みを強めてはどうだろう。
「原発停止で電気料金があがっても、これくらいなら受け入れる」「節電をもっと進めるから、リスクの高い原発から廃炉に」といった話を、地域や集会などでもっと積み重ねる。その成果を束ねて、政府や電力会社に異論の声を届ける。
そうしてこそ、声は、政策への影響力を高められる。


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67年前のこの日(1945年7月16日)、アメリカのニューメキシコ州において人類初の核実験が行われたそうです。
それから1月もしないうち、8月6日に広島、8月9日に長崎に原爆が落とされた。

そして戦後、日本人は「原子力の平和利用」というフレーズで、
核と原子力を別物として刷り込まれてきた。
でも原子力の平和利用なんて、無理だったのです。
| 原発 | 23:28 | comments(0) | trackbacks(0)
7月15日(日)生きるということを考えさせられた2冊

またまたお久しぶりです。
思ったり考えたりすることは山ほどあるのだけど書くのが追いつかない。

最近読んでよかった本から思ったことを。

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元「叫ぶ詩人の会」のドリアン助川さん、今は本名で執筆活動などなさっている明川哲也さん。
新聞での悩み相談コーナーの回答がいつも素晴らしい。数年来のファンです。

先日なやむ前のどんぶり君−世界は最初から君に与えられている』(ちくまプリマー新書)を読みました。
自分はなぜ生まれてきて、いかに生きればよいのか…この哲学的大命題に、明川さんは明快な答えを出されています。
一言でいえば、わたしたちは宇宙との関係を味わうために生まれてきた。
宇宙に心あるものが生まれなければ、宇宙がここにあるということを誰も証明できず、この全世界はこつ然と消えてしまうというのです。
だから、わたしたちは最初から祝福されているのだと。宇宙から望まれて誕生するのだと。

たとえば難病で生まれてから死ぬまでベッドで寝るだけの人生を送る人がいるとする。
でもこの人には存在するだけの価値がある。宇宙はこの人が誕生することを望んだ。彼はベッドから空を眺め、飛ぶ鳥を眺める。それで宇宙は存在を確認されるから。

ああそうか、と思いました。
素晴らしい考え方だなぁ…
と感じ入っていたところ、『しまがっこ溶けた 詩人 桜井哲夫との歳月』(金正美著)(※)という本を読んだ。

桜井哲夫さんは、らい病(ハンセン病)で17歳から60年間療養所に隔離され、病で手の指を奪われ、目も見えません。
でもその生き方の素晴らしいこと。たとえば。
「(略)こんなに不自由でかわいそうだってよく言われるんだけど、全然不自由だと思ったことないの。そりゃ実際は、介護してもらわなきゃ自分でご飯だって食べられないんだから、一人で生きていきなさいって言われても、それは無理な話なんだけど。でも気持ちの上では、まったく不自由ではないってこと。だってね、確かに眼と鼻はないけど、耳と口があるでしょう。耳と口さえあれば、あなたたちの話を聞くことができるし、こうして自分の気持ちを伝えられるでしょう。それで十分なの。何も不自由なことはないの」

「私たちはこのように隔離されました。それは確かにそうなの。それは法律で決められちゃったことだから、どうにもならないわけね。でも体は隔離されているけど、心まで隔離される必要はないわけ。それじゃ、ちょっとつらすぎるでしょう。じゃこの中でどうやって生きるか、ということになるんだけど、まずはここを国立療養所だと思わないの。私はここを国立大学だと思うことにしたの。勉強したければ、好きな本を注文して、朝から晩までずっと勉強するの。これだけ時間があるんだから、真剣に取り組めばかなりの知識をものにできると思うよ。三食ちゃんとご飯を食べさせてもらって、医者が健康の管理をしてくれて、看護婦さんもいるの。そう考えると、ここの生活も捨てたもんじゃないよ」

こんなふうに主体的に生きる。
見えない目で美しい花を見る。風を感じる。
そして、詩を作る。指がないため詩を作るときは頭の中で完結する。
命を削って言葉を紡ぎだす。

さらに、年金や詩集の売り上げを貯金してタイのハンセン病コロニーに寄付する。

まさに明川さんの説く、
「(生きるとは)この世との関係を味わい尽くすことである。そして可能なら、その中で表現をすることである」
という、まったくその通りの生き方ではないですか!
しかも桜井さんはユーモアがあり、とてもチャーミングな方。
見事です。なんという人間らしい生き方かと嘆息します。日本人の、いや人類の誇りだと思う。

翻ってわが身を省み、学び続けよう、そして何らかの形で表現していこう、と思うわたしです。

※在日韓国人である金正美さんが桜井哲夫さんとの8年間の交流を描いたもの。19歳〜27歳の金さんと70歳〜78歳の“哲ちゃん”との心の交流が、とても素直な言葉で綴られています。

| 本・雑誌 | 14:07 | comments(0) | trackbacks(0)
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