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twitterでおしえてもらった動画。
Prayers from kibara for Japan 〜祈り〜 キベラから日本へ
ケニアの首都ナイロビのキベラスラムというところの子どもたちが、
日本のことを想って歌ってくれています。泣いてくれています。
ぜひ見てみてください。
すでに3回見て泣いているわたし。
ありがとう、ありがとう、キベラの子どもたち。
こんな遠い国のことを想ってくれてありがとう。
泣いてくれてありがとう。祈ってくれてありがとう。
キベラのわたしたちの子どもたちよ。本当にありがとう。
毎日今日こそは停電が行われるか?と思っているのだけど、
結局ならず。ありがたいことですが。
そしてわたしはなかなか節電ができない。
持っているロウソクに火をつけて夜を過ごしてみようとしても、やはり暗い。
本が読めない。何もできない。
結局、すぐに電気をつけてしまう。
生まれたときから電気があったからな。いかに電気の明かりとともに生きてきたかってことを思い知る。
唯一、今日から、電気で温めていた便座に専用カバーを付け、電気を切った。
そして、髪はドライヤーではなく灯油ストーブで乾かしている。
母はどこにもお米と牛乳がなくて困ると言っている。
だけどまあ、そのうち何とかなるんじゃないかしら。麺類もあるし、強力粉があればパンは焼けるし。
わたしは先ほど明日の朝食用に、スキムミルクを使ってパンケーキのタネを作りました。
あおられないように。あおらないように。
パニックにならないように。
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たくさんの人が、自分も何かしたいという気持ちでいっぱいだと思う。
励ましたいっていう気持ち、すごく尊いと思う。励まし合うことは人間に与えられた素晴らしい能力だとも。
でもね、励ますって、本当は、すごく難しいこともある、とわたしは思うんだ。
たとえば、うつ病の人に対して「がんばれ」が禁句というのは世間一般に浸透しつつあるけれど、
そんなふうに、立っている場所が違うと、励ましのつもりが、逆に苦痛を与えることになりかねない。
だから、まず大切なことは、
気持ちを受け止めるということだと思う。
たまたま京都の詩仙堂でもらってきた「禅の友」という小冊子に、
共感できる文章が載っていました。
「自殺を防ぐ活動から」というシリーズで、自殺防止の、かなり心が弱った人向けの対応なので、
震災時とは少し違うかもしれないけど、辛い気持ちを抱える人が増える状況だし、
わたし自身心にぴったりきたので、
少し長くなるけど全文を引用してみます。
「感情を受け止める」
三重県萬重寺(まんじゅうじ) 西 育範
自殺を考える人には、それだけの困難な事情があります。人によってさまざまな問題ですが、平均すると四つぐらいの複数の問題を背負っていると言われています。
例えば、家族や職場の人間関係、心の病、経済苦、失業など。大雑把に分類して、このような問題が目立ちます。
そのような話を聴く時に、一つ大切な注意点があります。それは「感情に焦点を当てる」ということです。感情、気持ち、気分、心境、心情、それらを聴き逃さずにしっかりと集中します。
しかし、相談を受けているとつい、「なぜ人間関係が悪くなったか」とか、「どうすれば良好になれるか」ということに興味が湧いてしまいます。
ところが、これらはあまり重要ではなく、その人が、今、どんな感情を抱いているのか、ということが大切です。
もし人間関係に苦しんでいるなら、相手の人に対してどのような感情を抱いているのか。話しかけられた時にはどんな想いがするのか。一緒に居る時はどんなことを考えているのか、などに注目します。
なぜ、それほど感情が大切なのでしょうか。それは、感情はその人の心の奥底の本音だからだと、私は思っています。または、その人の人格と言っていいでしょう。その感情を聴いて、受け止めることに努めます。
つまり、感情を聴くことはその人の本音を聴くこと。感情を受け止めることは、その人の人格を受け止めること、と言っても言い過ぎではないと思っています。
人にはさまざまな感情があります。特に自殺を考える人の感情は、不安、虚しい、悲しい、寂しい、怖い、憎い、腹立たしい、情けない、嫌い……などいろいろです。これらの感情が複雑に絡み合っています。
そして、「死にたい」という想いも一つの感情です。さらに「死ぬのは怖いけど生きたくない」「生きていたいけど死ぬしかない」という相反する想いもその人の本音だと思います。
それらの感情が、否定されずに受け止められた時、人は安心感を得られるのです。自分には理解者がいる、仲間がいるという想いに繋がっていくからではないでしょうか。
自殺は人がするもの。自殺防止も人がするもの。人と人との関わり合いは、感情と感情の関わり合いだと思います。人間は感情の生き物だということを改めて感じます。
「不安、虚しい、悲しい、寂しい、怖い、憎い、腹立たしい、情けない、嫌い……」
こういう感情を受け止められる人が、いかに少ないか。
そんな暗いこと言わず、がんばれ! 明るくいこうよ!
それは確かに優しい励ましです。
しかし、明るくなりたくても、どんなにそう願っていても、
懸命に努力しても、そうなれないとしたら、どうでしょう。
その励ましは、逆に、まるでトゲのように心に突き刺さります。
明るくなりたいのは山々だけど、悲しいんだ、辛いんだ、泣きたいんだ…
その気持ちをつっぱねないでくれ…と思うでしょう。
だから、わたしは思う。
1000年に一度の大震災で、
どうにもならないような深い深い悲しみ、辛さ、不安を抱える人がたくさんいらっしゃる今。
身近に辛い気持ちを抱える人がいたら。
その人を励ます前に、まず、感情を受け止めよう
それはきっと、励ますよりも難しいこと。
だけどわたしたちにはできる。心を寄せて受け止めよう。きっとできる。
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いただいてきた「禅の友」ってこんなの。
3月号はにゃんこが表紙。ほっとするね。
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ロウソクの明かりで上手に夜を過ごすにはどうしたらいいんだろ?…今のわたしの課題です。
良いアイデアがありましたら教えてください。
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って、こんなのあまりにも微力で…
やはりスーパーやデパートの電力は大きいと思う。今どこも薄暗くしているけど、別に不便じゃない。
そもそも日本のスーパーやデパートって明るすぎたよね。そんなふうに思っている人も多いのでは。
ヨーロッパなんかは、ちょうどこのくらいの明るさだったかも。
3月11日、旅行先の京都に着いて街を歩いているとき、東北〜関東で大震災が起きた。
京都は震度2。全然気づかなかった。
わたしは横浜から、友だちは福岡から、真ん中あたりで会おうということで選んだ地が、京都。
約1年ぶりの再会を喜び合い、「塩芳軒」さんという、京都御所真ん中あたりを西に15分ほど歩いたところにある和菓子屋さんで、地震が起きたことを聞いた。
「相当大きいみたいですよ。どちらからいらっしゃいました?」
とご主人。
わたしたちがそれぞれに答えると、
「福岡は大丈夫ですね。横浜はかなり揺れたんじゃないですかね…今テレビでずっとやってますよ」とのこと。
地震!
すぐさま家に電話するが、通じない。
その後、漬物やさんで、御所で会ったご夫婦と…行く先々でその話題で持ちきり。
でも、家族と連絡がとれないし、テレビもラジオもネットもないので、正確なことが全然わからない。ピンとこない。
とんでもない規模の地震であったことがわかったのは、その日の夜。
ユースホステルにチェックインし、テレビを見てからだった。
家が津波に飲み込まれ、流されていく映像。現実とは思えない。何が起こっているのかわからない。悪夢のような現実に頭が混乱する。
ようやくメールで家族の無事も確認できた。
かなり送受信にタイムラグがあったようだ。
しかし本当に被害の大きさがわかってきたのは翌日帰ってきてから。
そして、翌13日(日)はずっと友人知人とメールや電話をしていた。
何しろわたしはその揺れを経験しなかったので、現実感がないのだ。浦島太郎のようで。
連絡をとったみんなは無事で、安心した。
被害の大きい地域に実家のある人も無事で、本当に良かった。
だけど、気持ちは複雑。
町が丸々流されたのだ。考えられない人数の方が亡くなった。
行方不明の方、避難生活を強いられている方…
ただただ、もう、どれだけ無念か、心配か、悲しくてやりきれないかと思うと、涙が出て、どうかがんばってほしい、と祈るしかなくて、だけど、わたしには何もできなくて。
今日で地震から6日目。
余震が続いている。京都から帰ってきて、これか…と思ったけど、帰ってきたのは12日だから、これでも落ち着いてきたころだっただろう。
だけど、気象庁は今後、また大きな地震が起きると発表している。
テレビは被災地の深刻な状況を伝える。
家族が見つからない心配、全財産を失った悲しみ、余震の恐ろしさ、
避難所での大変な生活(食料・飲料の不足、灯油・毛布の不足、医療スタッフや医療品・薬の不足…何もかも足りない状況)…
そして原発からの放射能漏洩…
それを思えば関東地方(首都圏付近)の計画停電、交通機関の乱れなどは、どうってことはない。
とはいえわたし自身も落ち着かない日々が続いている。上空では一日中ヘリコプターの音がしている。
また大きな地震が来るかもしれないと、皆が怯えながら暮らしている。
この未曾有の非常事態に、考えがまとまらなくて、言葉を失って、
ブログもこうしてうまく書けなくて、ツイッターも書き込めない。
ツイッターは、わたしなんかが下手につぶやくよりも、有用な情報が流れたほうがいいと思うから、黙っている。
わたしにできるのは、まず祈ること、そして節電に努めること、募金をすること。
正しい情報を得るよう努めること。
それから、被災地に行って助けることができなくても、心を寄り添わせることはできる。
そうすると涙が出るけれど。
辛い気持ちでおられる方の気持ちに寄り添いたい。気持ちを受け止めたい。
人間同士はそんなふうにして、ほんの少しでも気持ちを楽にし合うことができるはずだと思う。
わたしの友人知人で不安な気持ちでいる人は、わたしに、いつでもメールなり電話なりしてください。
その気持ちを受け止めることはできるから。
本当に小さな安心感だけど、
だけど、だれかが気持ちを添わせてくれることがどんなに嬉しくて心強いかってこと、
わたしはよくわかるから。
日本の皆さん、落ち着こう。力を合わせよう。
みんなで被災地のことを考えて行動しよう。自分にできることを考えよう。
節電に努めよう。関東の皆さんは、食料を買い占めたりしないようにしよう。
今こそ、どうにかして、人間のもっている良い面と、知恵を生かしたい。
アオキ・サダハルさんのお菓子をいただきました。
この方、雨宮塔子さんのご主人ですよね。
「ショコロン」といって、マカロンをチョコレートでコーティングしたもの。ポップでカラフルだー。
赤いのをかじる。
こ、こ、これは!
おいしいっ!
フランボワーズ(ラズベリー)の味が口いっぱいに広がります。
中のジャムは酸っぱくて種がプチプチ。ビターなチョコレートとのハーモニーが最高。
上のドット柄の薄い板みたいなのも、一緒に食べられます。
あまりのおいしさに、一瞬、夢の世界にトリップ。
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4年間の執筆のお礼、ということで、編集担当の後輩女子とご飯を食べて、
ミッドタウンで購入したというこんなお菓子をいただいて。
きちんとした身なり、社交的な話し方、身振り、笑顔、
職員同士の交流が垣間見られる楽しげな話題…
すべてにおいて、今の自分がおかれている環境との違い、
−−あまりにも大きな違い−−を、感じずにはいられなかった。
わかってはいたけれど、改めて。
それは、かつてわたしがいた世界。
コラムの連載が終わってしまった。
わたしのプライドを保つ唯一のよすががなくなった。
プライドを保つにはどうしたらいいんだろう。