文月遊亀 memo*

日々のこと、音楽や本のこと、心の赴くままに書いています。
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11月29日(月)雪の写真家と研究家

コラム書けたぁ〜!

ない知恵を絞って雪の写真家と研究家を紹介。
アメリカのウィルソン・ベントレーという人と、日本の中谷宇吉郎という人。
えーと、このお二方をご存知の方ってどのくらいおられるのでしょう?
 ご存知の方はコメントを!m(_ _)m

わたしはお二人とも全然知らなかったから、図書館や本屋を駆けずり回って関連書籍を集め、短期間で読みまくったわけです。

ベントレーに関しては『雪の写真家 ベントレー』という伝記絵本が出ていて。

アメリカはバーモント州ジェリコという豪雪地帯に生まれたベントレーは子どものころから雪が大好きで大好きで、毎日観察していて、その美しさをほかの人にも知ってもらいっていう強い思いから、一生を雪の結晶の撮影に費やしたという人なんです。
お金儲けのことなどは一切頭になく、子どものようにひたすら「雪が好き」という純粋な気持ちを持ち続けた人だったようです。
カメラつきの顕微鏡で雪の結晶の写真をたくさん撮り、今から約70年前、1931年に念願の『Snow Crystals』という写真集を発行した。それは彼が亡くなる一ヶ月前だった…とのこと。
すごい人生だなぁ…
なお、この絵本は版画が大変素晴らしいです。表現力豊かで、色合いも美しくて、あたたか〜い感じを受ける。

Snow Crystals』も借りてきました。

中は、黒の地をバックに、白い雪の結晶の写真がひたすらに並んでいるのです。万華鏡のようで、じつに美しい。圧巻。
今でもデザイナーさんたちの資料として使われているとか。

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中谷さんは、1900年生まれの物理学者。世界に先駆けて人工雪を作ってしまった人。
岩波文庫の名著『』では雪の被害に始まり、生成条件を解き明かし、雪の正体をつかまえるために人工雪を作る過程が描かれています。

科学のお話なので、一般人にわかりやすく書かれたものではあるけれど、わたしには少々難しい箇所もありました。
それでも「へえ〜」「へえ〜」の連続で面白かった!
こんなことを研究されている方がおられるんだなぁ…。文章もとても読みやすくて、確かに名著。
と思ったら、なんと中谷さんは寺田寅彦のお弟子さんなんだとか。エッセイも山ほど書き残しておられる。

『雪』にはベントレーのことも出てきた。もちろんこの写真集のことも。
彼は科学的素養をもたず、美しい雪の写真を撮ることを楽しみとしていた人だから、倍率や降った時期の記載が全然ないのが惜しまれるとしたうえで、こんなふうに書いている。

雪の結晶について多くの人の人々の関心と興味とを喚起した。この点においてウイルソン・ベントレーなるアメリカの一老人は偉大なる功績を残したということもできる。厳密にいってそれは科学的研究の産物とはいえないかもしれないが、その一生を通じて自然に対する純真な興味を失わず、うまずたゆまず成し遂げた彼の事業に対しては、われわれは尊敬を払わなければならないであろう。

でもね、こう書いたあとで、雪の結晶というのはほんとはベントレーの写真集に並んでいるような美しい結晶ばかりではないので、一般に雪の結晶というものがベントレーの写真集のようなものだと思わせたことは注意する必要がある、とも書いておられます。

中谷氏の『雪は天からの手紙』(岩波少年文庫)という本も読みました。
で、読んでいたら「自由学園」のことが出てきてびっくり!

同窓の友人M君から自由学園学術叢書第一を贈られたのでさっそく読んでみた。この小冊子には霜柱の研究と布の保温の研究とが収められていて、研究者は自然科学グループという名前であったが、内容を見ると5、6人の学園のお嬢さんの共同研究であることが分かった。
初めの霜柱の研究というのをなにげなく4、5ページ読んでいくうちに、私はこれはひょっとしたら大変なものかも知れないという気がしたのでゆっくり注意しながら先へ読み進んでいった。(略)これはまことに(略)、広く天下に紹介すべき貴重な文献であるということが、読み終わって確信されたのである。
この研究を読んで、私は非常に驚いたのである。この仕事についてはまず第一に指導した先生がよほど偉かったのであろうということが考えられた。それから「物理学」の知識がさほど深いとは思われぬ若い娘さんたちが、優れた「物理的」の研究をある場合には立派になしとげるという良い例がわが国に出たということをうれしく感じた。


高校生の女の子たちが、霜柱の研究をあっけらかんと、しかしかなり深いところまで成し遂げたことにびっくりしておられるのですね。
驚くべきことに、これ、1940年に書かれた文章です。
ということは、このときの女の子たちは、ご存命であれば、88歳くらいという計算になる。

ああ、でもわたし、自由学園がそういう学校だということは、学園出身者の99歳の方のお話を母から聞いていて、わかるんだ。
そういう教育を行っていて、純粋に興味を抱いたことを研究できる環境が整っているということ。
それにしても、びっくりしました。

中谷さんの著述には、日本の発展にとって科学的に考える市民が増えることが大事というようなことが書かれていたのが印象的でした。
いわゆる専門馬鹿、の学者さんではなく、科学と社会とのつながりを考えていた人だったようです。

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理系の文学少女Kちゃんに教えてもらったんだけど、故郷の石川県加賀に「中谷宇吉郎 雪の科学館」なる科学館があるそうです。
「理系の文学少女だから知ってたわけではなくて、建築も有名で、一度行ってみたかったんです〜!」って、いやいや物知りだね。わたし中谷さんのこと3日前に知ったんですけど!

今度雪が降ったら虫眼鏡でのぞくんだ。
雪について、今ちょっとだけ詳しくなってるよ。雪って不思議。自然って不思議。

『雪』はこんな文章で結ばれている。

このように見れば雪の結晶は、天から送られた手紙であるということが出来る。そしてその中の文句は結晶の形および模様という暗号で書かれているのである。その暗号を読みとく仕事がすなわち人工雪の研究であるということも出来るのである。

うーむなるほど。
「雪は天からの手紙」っていうのは岩波少年文庫のタイトルにもなっているように、中谷博士の非常に有名な言葉なんだそうです。けだし名文。名キャッチコピーですよね。

雪の結晶は天から送られた手紙…なんてロマンチックな。
手紙に書かれた暗号を読み解く。雪の研究とはそういうことなんですと。わくわくしますね。
科学の原点は「わくわく」なんだな、と改めて思いました。
「わくわく」を見つけられる、感じられる感性でもあるんだなと。



| 本・雑誌 | 23:22 | comments(0) | trackbacks(0)
11月21日(日)お料理しまくり

両親が祖母の法事で九州に帰っており、嬉々としてお料理しまくり腕まくり。
ミートローフに里芋の煮っ転がしにビシソワーズに…
うーん、充実した気持ち。
シナモンロールやケーク・サレ(最近はやってる、ハムとかチーズとかオリーブとか入れた甘くないパウンド型ケーキ)も焼きたいと思っていたけどもう時間切れかな。

朝は二日続けてパンケーキ(←どんだけ好きなん? 笑)。

スタンダードが一等好きだけど、昨日はさつまいも入り(小さく切ってゆでたのをタネに混ぜて焼きます)で、今日はバナナ入りにしてみた。



上の写真がさつまいも入りなんだけど、これは美味!ヒット!(ちなみに下はバナナ入り)

タネはこの分量で、もっと甘くしたくてお砂糖を3倍くらいに。
そして作り方の手順も変更。

卵かき混ぜ

砂糖と牛乳加えてさらに混ぜる

ふるった粉+BP入れてさっくり混ぜる

粉はお菓子と同様2回ふるうほうがいいね。

明日はパンケーキ!と思い立ったら、前日の夜にタネを作っておく。
生地を寝かせる意味もあるけど、起きたときの気持ちの余裕と、
そうだパンケーキのタネがあるんだったぁ♪って思い出したときのうれしさがいい。

| 食(つくる、食べる。お店も) | 23:44 | comments(0) | trackbacks(0)
11月18日(木)プラネテのバッグ

ああ、またコラムの締め切りが…もはや新年号だって…! 何にしよ…

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音楽が足りない!
コーラス活動がなくなり、もう一つの活動(って初めて書くけど。ギターの方とデュオでピアノ弾き語り計画)もギターさんが忙しそうで頭打ち。
どなたかセッションとか誘ってください! 音楽がないと生きていけない…!

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駅でプラネテのバッグを持った人と遭遇!
革ジャン+ジーパンの男の人!

プラネテっていうのは、自由学園工芸研究所の作っているストライプの先染めの布なんだけど、
このストライプはもしや…?ってすぐわかった。「JIYU」ってタグがついてた。
やっぱり! って思った。

工芸研究所についてはこちら
工芸研究所の歴史はこちら

去年9月に、創立77周年記念イベントとして、なんと表参道ヒルズにて、
「プラネテと出かけよう。」なるイベントを開催したのよね。
もしやそのときに購入されたオシャレさんなのかしら? とか、それとも自由学園出身者? それともお母さまが友の会の会員?
…あ、もしかして、お母さまが亡くなって、その形見を大事に使われている…? とか大変失礼な想像をしたり。

だって「おばさま」ならともかく、40歳くらいの男の人だったから〜。
ちょっとびっくりした。

その方が持っていたのは、このカジュアルバッグの「カメリア」。

うーむびっくりしたなあ。
母がバッグとかエプロンとか色々使っているし、わたしも小学校のとき料理クラブで使っていたのはプラネテのエプロンだった〜!
(当時は「プラネテ」なんて言葉は知らなかったけど…でもいま布の一覧を見ると、あのエプロンは「パレット」だったんだなぁ)

母が赤い「カメリア」のバッグを持っていた。
だからプラネテの中でも特に親しみがありすぎて、
バッグに吸い寄せられてついていきそうになっちゃったよ(笑)

| 日記 | 23:02 | comments(0) | trackbacks(0)
11月15日(月)ショパン本

今年はショパン生誕200年なんですよね。

ショパンというと、わたしの中ではエチュードの「別れの曲」の一番難しい部分を生爪が剥がれそうなほど練習しまくった思い出が真っ先に蘇るかなぁ(はー怖いわ音楽って…優雅なだけでは全然ないんだよねピアノを弾く行為というのは)。

ってことで、ショパン生誕200年企画として今年9月に出た岩波ジュニア新書の『ショパン――花束の中に隠された大砲』(崔善愛著)を読みました。

これ、と〜っても良い本です。ただの企画本と侮るなかれ。
ショパンって曲は知ってるけど人生はよく知らない、どんな人生を送ったのか知りたいって人にはほんとおすすめ。ジュニア新書だけど大人も読むに足る。
てか語り口は若者向けに丁寧語(ですます体)だけど、中味はほとんど大人向けな充実の内容。

父親はフランス人、母親はポーランド人。1810年ポーランドに生まれ、1849年、フランスにて39歳の若さで亡くなったショパン。ポーランドの歴史とからめてとてもわかりやすく書かれています。
著者は在日韓国人としてお生まれになったピアニストの方で、「はじめに」で、「『ピアノの詩人』としてではなく、自分の国を追われ、苦しみ、悩み、怒る一人の人間」としてショパンに共感したと書かれています。

この本を読むと、ショパンの音楽は、甘いとかロマンチックとか、時として俗っぽいという評も聞かれるけど、決してそうでないのだということがよくわかる

彼の音楽は、単に甘いロマンチックなものなどではなく、故国ポーランドの悲劇を自らの悲劇として背負い、侵略に対してどう戦えばよいのかと苦悩した日々のなかから生み出されたものなのです。(P94)

祖国に帰れなくても自分の考えを貫き、侵略しようとする国(ロシア)に抵抗したショパン。
彼は「ピアノの詩人」ではなくて、「革命のピアニスト」だったのです。

そう、ポーランドは長い抑圧された歴史をもつ国。分割され、消滅させられたり、建国してはまた支配下に置かれ…独立を果たしたかと思いきやまた大国の支配下に…
国ではないけど(国だったこともあるけど)沖縄を連想してしまう。

何度街や文化を破壊されても、ポーランドの人びとは、そのたびにかけらを集め、また作り直すという繰り返しを200年以上もずっとつづけてきたのです。なんという忍耐でしょう。ZALという言葉は、このような忍耐をもその意味に含んでいるのかもしれません。 (P171)

ZAL(ジャル)というのはポーランド語で、ショパンを尊敬していたリストによるとこんなふうに書かれています。ポーランド人にしかわからない、複雑な、色んな気持ちがごちゃまぜになった感情のようです。
※「彼」というのはショパンのこと。『ザル』とはZAL(ジャル)のこと。

たとえかりそめに明るさを装うことはあっても、彼は精神の土壌を形作っていると言ってよいある感情からけっして抜け出ることはなく、そしてその感情は、彼自身の母国語によってしか表現できず、他のどんな言葉も、耳がその音に乾いているとでもいうように彼がしばしば繰り返す『ザル』というポーランド語と同じものを表すことはできない、この『ザル』という語はあらゆる感情の尺度を含んでいるのであり、あの厳しい根から実った、あるいは祝福されあるいは毒された果実ともいうべき、悔恨から憎しみいたるまでの、強烈な感情を含むのである――と言った。(P132)


そしてもう一冊、ショパン関連本…ではないけど、ショパンが出てくる日本文学といえば…これしかありません。
福永武彦『草の花』。
再々読くらいだと思うけど、初めて読んだのは大学生のときで、わたしはこんなの真面目に読んでいたから悩んだり考えすぎたり眠れなくなったりしていたんだろうな〜…なんて思った。

恋愛、宗教、芸術、戦争、人生について、汐見氏、あーだこーだと考えすぎなんだもの。考えすぎるってのは…やはりよくないですよ。人生がおかしなことになっていく危険性大。ある程度お気楽に流されて生きるのが幸せに生きるコツだと思うんですね。これは身をもって感じていることですが…

今読むと、以前とは違うところにひかれる。たとえばこんな部分。

人生というのはもっと別のものだ、もっと明るい、もっと実のある、もっとbrillant(ブリヤン)なものだ、と。しかし、この夢は決して覚めなかった。それは僕が死ぬまで覚める筈のないこと、この悪夢のような忌まわしい恐怖が、そのまま僕の現実であることを、僕は遂に認めざるを得なかった。

さて、そして、ショパン! ショパンです。「第二の手帳」でピアノ協奏曲第1番が出てくるんですね〜。
千枝子は、玄人はショパンは甘い、俗っぽいと軽蔑するんでしょ?と汐見に尋ねる。汐見の答えは…

――甘いとか甘くないとか、そんなことは問題じゃない。その人の魂にしんから訴えてくる音楽が、その人にとって一番いい音楽だ。ショパンがどんなに甘くったって、ショパンは生命がけで作曲したんだ、ぎりぎりのものだったんだ。ショパンは結核だったから、きっと自分がそう長くは生きられないことがわかっていたんだろうね。自分の死ぬのがわかっていたら、どんなにか厭だろうね。
――およしなさい、そんなことを考えるの。
――うん。僕はただね、安心して生きている人間が、ショパンは甘いなんて軽々しく口にすべきじゃないと思うのさ。それでなくったって芸術家は、誰でも苦しい負目のようなものを背負って、今倒れるか今倒れるかと思いながら歩いていくんだものね。

その次の次のページ。

――ショパンは、どこのフレーズを取ってみてもみんなショパン的なんだね。そりゃどんな音楽だって、モツァルトはモツァルト的、シューマンはシューマン的なのは当たり前の話だけど、特にショパンの場合には、あの夢見るような旋律が、実に個性的な美しさをもって、すみずみにまでちりばめられているのだ。真に独創的なものは、それが繰り返して現れてくるように見えるときでも、決して同じものじゃない。細部はそれぞれに微妙に違っていて、ところによっては大胆不敵な手法も使ってあるが、それがまた実にショパン的なんだ。だからほんの一フレーズだけ聞かされても、ショパンのものなら決して他の音楽家のものと間違えるはずがない、と思うよ。

ふむふむ、汐見さん、なかなか良いことをおっしゃいます。
ショパンの音楽について、結核とか、芸術家としての宿命といったところから解釈しているけど、これにポーランドの歴史という視点が加われば上の本で書かれていることとかなりマッチします。

ショパン的なフレーズということについては、わたしもまったく同感。優れた作曲家はどの曲にもその人らしさがにじみ出てしまうわけですね。
汐見さんのように、特にショパンが…とは思わないけど、優れた作曲家であればあるほどその傾向が強くなるのではないかな…と思います。

ポーランドの歴史、ショパンの思いを想像しながら、エチュードやポロネーズ、ピアノ協奏曲を改めて聴いてみようと思います。

| 本・雑誌 | 23:22 | comments(0) | trackbacks(0)
11月12日(金)来年の手帳

少し早めに来年の手帳を買いました。

ここ数年デルフォニックスのA5サイズに落ち着いているのですが、
今回はマリメッコ風?の花柄にしました。
いまマリメッコ柄の携帯を狙っていて、もし黒にしたらお揃いっぽくなるなぁ、と思いつつ。

ところで右側のオレンジのはアドレス帳の冊子で毎年ついているんだけど、これ、いらないんだよね…
買って早々、捨てるしかない。
ううう、もったいない。




デルフォニックスさん、手帳はとても使いやすくて重宝していますが、アドレス帳は不要です。どうか今後ご検討をお願いしたく!!

| 日記 | 23:29 | comments(0) | trackbacks(0)
11月12日(金)『ダンス・ダンス・ダンス』

BBつながりで、ふと村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』が読みたくなって再読(再々読だっけ?)。
ユミヨシさんや五反田くん、ユキたちと久々に再会する。


「どこにも行けない」。
ここ10年くらいか? 頭の中でしょっちゅうこのフレーズがよぎるのはこの本のせいだったと気づく。
恐るべし村上春樹。わたしに与えた影響力たるや……

主人公は離婚経験あり、「文化的雪かき」的ライター仕事をこなす34歳。
もう若くはないさと君に言い訳するわけではないが若くないことを実感しており、
「どこにも属していない」「どこにも行けない」八方塞がりな状況で、
踊り続けていなくてはダメだと羊男から忠告される。

登場する音楽は、ビーチボーイズ、スライ&ザ・ファミリーストーン、ドアーズ、ストーンズ、ピンクフロイド、ラビン・スプーンフル、スリー・ドッグ・ナイト、シューベルト…などなど(もっといっぱい)。

僕とユキは、車の中で一緒に「ヘルプミーロンダ」を歌ったりしている。
(※ビーチボーイズについては最後にまとめて書きます。)

登場する場所は、渋谷の僕のアパート。赤坂のユキのマンション。
「いるかホテル」のある札幌、アメの家のある箱根、僕とユキが滞在するハワイ…

赤坂周辺の記述がなんとも懐かしいこと。赤坂署や乃木神社。
乃木神社にて、僕はユキと、マセラッティという車について話す。座っているベンチはあのあたりだろうな、と手に取るようにわかる。

乃木坂といえば『1Q84』でも乃木坂のフレンチレストランが出てきたなぁ。
あの件(くだり)は、「FEU」(←昔はもっと難しい字が当てられていたけど、今はこんな名前になったみたい。音は“ふう”ね)を想像しながら読んだ。

そのほか食べ物の記述などが大変楽しいのはどの村上作品もそうなのだけど。
だけど、どうしようもなく高度資本主義社会システムに組み込まれちゃっている人間のありよう(書かれた時代は80年代後半)、「どこにも行けない」感じ、がしんどくて重い。『モモ』を想起しちゃったりも。
さらに、上記のとおり「もう若くはない」ということが強調されているし。
大きなテーマは「死」でもあるし。
たぶん執筆時の春樹さんと今の自分の年齢が近くなっているため(これビックリだけど!)、何だか昔読んだときよりよくわかる感じだ。

一組の男女のつながりで物語を完結させるのは『1Q84』と同じだなぁと思った。
人とのつながり。そこに救いを見出す。
春樹作品の大きなテーマのひとつですね。
喜びを他の誰かと分かち合う。それだけがこの世の中を熱くする。
って、オザケン思い出しちゃったなぁ。ちょっと話がそれちゃったなぁ。

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※ビーチボーイズについて

ビーチボーイズの『サーフズ・アップ』も聴いた。


と、わざわざアルバム名をあげているところがあるが(下巻P152)、
後年『意味がなければスウィングもない』でも『サンフラワー』とともに取り上げていることから、とりわけ好きなアルバムなのだろうと思う。
下巻P20には五反田くんと僕のビーチボーイズについての会話あり(↓)。

「そういえば、『グッド・ヴァイブレーション』からあとのビーチ・ボーイズは殆ど聴いてないね。何となく聴く気がなくなっちゃったんだ。もっとハードなものを聴くようになった。クリーム、ザ・フー、レッド・ツェッペリン、ジミ・ヘンドリックス……。ハードな時代になったんだ。ビーチ・ボーイズを聴く時代じゃなくなった。でも今でもよく覚えているよ。『サーファー・ガール』とかね。お伽噺だ。でも悪くない」
「悪くない」と僕は言った。「でも『グッド・ヴァイブレーション』以後のビーチ・ボーイズも悪くはないよ。聴く価値はある。『20/20』も『ワイルド・ハニー』も『オランダ』も『サーフズ・アップ』も悪くはないLPだ。僕は好きだよ。初期のものほどの輝きはない。内容もばらばらだ。でもそこにはある確かな意思の力が感じられるんだ。ブライアン・ウィルソンがだんだん精神的に駄目になって、最後には殆どバンドに貢献しないようになって、それでも何とかみんなで力をあわせて生き残っていこうとする、そういう必死な思いが伝わってくるんだ。でも確かに時代にはあわなかった。君の言うとおりだ。でも悪くない」
「今度聴いてみるよ」と彼は言った。
「きっと気に入らないよ」と僕は言った。
彼はテープをデッキに入れた。『ファン・ファン・ファン』が流れた。五反田君はテープにあわせてしばらく小さな音で口笛を吹いていた。
「懐かしい」と彼は言った。「ねえ、信じられるかい? これが流行ったのはもう20年も前なんだぜ」
「まるでつい昨日みたいに思える」と僕は言った。

ブライアン不在のBBをみんなでがんばって支えていくのがよい、というのは村上春樹氏の一貫した見解なのですね。
『意味がなければスウィングもない』ではこんなふうに書かれていました。

しかし他メンバーの提供したいくつかの曲が、ブライアンの生んだ曲のまわりを、従属的な星座のように彩るとき、そこには不思議なほど有効的で、興味深い、トータライズされた音楽世界が生まれることになった。「ビーチボーイズ」という集合的な生命体の持つ優しさや、傷つきやすさや、矛盾や、希望や、迷いや、そういう雑多なものが、我々の眼前に、ひとつの不分離な風景として浮かび上がってくるのだ。そこにはビーチ・ボーイズがブライアンのワンマン・バンドであった黄金時代とは一味違う、積極的な「共有感」のようなものが生じている。
| 本・雑誌 | 23:19 | comments(0) | trackbacks(0)
11月10日(水)「酒井駒子、山村浩二 ふたつのとびら展 〜絵本原画の魅力〜」

コニカミノルタプラザにて「酒井駒子、山村浩二 ふたつのとびら展 〜絵本原画の魅力〜」を観る。

ここは常時無料で写真展を行っているところ。なのに絵本の原画とは! しかも酒井駒子さんとは! おお嬉し。

山村浩二さんのほうから。
『おやおや、おやさい』『くだものだもの』『おかしな おかし』からの原画。とくにお菓子が楽しいよ〜。アップルパイ、プリン、草もち。文章は駄洒落のオンパレード!

短編アニメ『頭山(あたまやま)』も面白いなぁ。
サクランボの種を食べた男の頭に木が生えて、桜が咲いて、たくさんの人たちがやってきてお花見。引っこ抜いた後に水がたまって池になり魚釣りに人が集まってきて…怒った男はその穴に身を投げて死ぬ…ってなんちゅうシュールな話じゃいと思ったら、これ、落語なんだね。語りは国本武春さん。

そして酒井駒子さん。
月刊誌「母の友」表紙の原画、絵本『こりゃまてまて』『くさはら』からの原画。

■『こりゃまてまて』
おおっといきなり既視感。弟が2〜3歳のころ、鳩を追いかけてる写真とそっくり。
幼子は瞳をきらきらさせて画面左下にいた鳩をつかまえようとしているのだけど、カメラはすでに画面右上に飛び立っている鳩をしっかりとらえていて、しかし幼子はそれにはまったく気づかず…という、なかなか良い写真。
「つかまえられる」と一途に思っているが、その能力がない。その能力がないことにも、まだ気づいていない。その幼さ、純粋さ、無垢な愛らしさ。

たまたま証拠として写真に残っているけれど、この年齢の子どもはみんな同じ。

そんな姿をとらえた絵。バッタ、ちょうちょ、そして鳩も! “こりゃ、まてまて”って。ああ、なんて可愛らしい。
酒井さんにはお子さんがいらっしゃるのだろうか。
いらっしゃってもそうでなくても、こんなにも子どもの心に接近して描くことができるのは、きっとご自分の子どものころをよく覚えていらっしゃるからではないかなと思う。

■『くさはら』
こちらはもう少し成長した少女。5歳くらいかな。
くさはらに入り込んで、一人ぼっちになってしまったときのこと。風の感覚、草の匂い、不安な気持ち。
酒井さんの絵を観るといつも、自分が経験した子ども時代の“あの感じ”を呼び起こされる。

| 日記 | 23:31 | comments(0) | trackbacks(0)
11月9日(火)ベルクにて

08年7月に『新宿駅最後の小さなお店ベルク』が、今年8月に『食の職 小さなお店ベルクの発想』が刊行されて活気づく?ベルクへ。
約2年ぶり、2度目の来訪。前回の記事はこちら

ジャーマンセット。609円。コーヒーをビールにすると、714円。

ベルク初コーヒー。非常においしい。
食べ物もとてもおいしい。パンはパンの、パテはパテの、ハムはハムの味が、ちゃんとする。至極まっとうな味。
「こういうのをきちんとした食事、というのだ」と村上春樹風に言いたくなる。

今日もとても混んでいてまた座れない。前回と同じ場所で立ったまま食べる。
そもそもテーブル席が非常に少ないうえ、座っているお客さんは寛いで長居されているから、全然空かない…
相席も何となく遠慮してしまうし。

わたしが訪れるタイミングが悪いということもあるだろうけど、次回こそは座ってみたいなぁ。
もっと早い時間に行けばよいのかな…?

店内は相変わらずの雰囲気。ベルクって、お客さんもあったかい感じがするんだよね。

さっと飲んでさっと食べてさっと立ち去るのがこのお店のいいところなんだけど、
できれば、できれば、このレベルの食べ物と価格と、雰囲気の中で、
ゆっくりと座ってお喋りできるようなお店があったらば…いいのにな…
(ベルクにおける諸問題はわかってます。それが日本の飲食店事情を反映していることも。でも、これって本来ぜいたくな願いではないはずだよね…)。

 

| 食(つくる、食べる。お店も) | 23:44 | comments(2) | trackbacks(0)
11月8日(月)活動休止

コーラスで参加しているバンド(バンドじゃないけど)、
コーラス1名脱退により活動休止となってしまいました。
勢いづいて活発にやっていくんだと思っていた矢先に…

でも、まあありがちな話ではある。
難しいよねバンドって。

だからこそ、某人の某バンド、12年も続けているのは本当にすごいと思う。
人間的にも音楽的にもそこまで馬が合うというのは、奇跡的といってもいいくらいなのでは。

というわけで、こちらのほうは12月のライブも何もなくなってしまいました。
予告したお友だちの皆さん、ごめんなさい。来年またよろしく!(活動再開時期は未定ですが…)

※あ、ついでに私信。あのね11月下旬の島根旅、Kちゃんが多忙で延期になっちゃったの〜! 来年3月に、京都・大阪にてということになっちゃったよ〜!

-----
ところで、このバンド(注)が多大な影響を受けたということで、
ここのところビーチボーイズ(BB)のアルバムを熱心に聴いておりまして、
いわゆるBBらしくないけど大好きなのが、これ。
ジャケットもかなり好き。

■『FRIENDS』


らしくないってのは、
3拍子の曲が2曲もあって(「friends」と「be here in the morning」。わたし3拍子大好き!)、
なんとボサノバも1曲(「Busy doin' nothin」)!

ソフトロックの範疇に入れられているとかで、
「Anna Lee,the healer」とか、ほんと軽いタッチでびっくりしてしまう。
マイク・ラブが歌い始めると「ああBBだ」と思うけどね。
マイクがインドに行ってたとき作った曲だとか。

アナ・リーという癒しの手をもった女性のことを歌っているんだけど、
聴きながら、最近エステティシャンになったお友だちにプレゼントしたいな、っていつも思う。

「Diamond head」とかは、ヨガやりながら聴きたい感じだ。やんないけど。
これはヨガやってる従妹にぜひプレゼントしたい。

8と9にデニスの曲が入っていて(「Little Bird」「Be still」)、これがいいんだ。
男っぽい渋いボーカル。そして名曲。

注:だからバンドじゃないんだけどさ!…そしてわたしもあまり“バンドやってる”って感じじゃないんだけどさ!…コーラスって、コーラスって…楽器はアコギだけって…

| 音楽 | 18:59 | comments(0) | trackbacks(0)
11月7日(日)佐野洋子さん

11月5日に、佐野洋子さんが、亡くなりました。
会社でネットで見て、大変驚いてショックを受けたのだけど、だれにも話せぬまま。
翌日絵本好きのKちゃんからメールが来て、ショックだね残念だねと返信す。

わたしはまず彼女のエッセイ(『がんばりません』と『ふつうがえらい』)から入った。
『100万回生きたねこ』を読んだのはそのあと。

その、歯に衣着せぬというか、自由奔放に書きたいことを書きたいように書いているところや、気取り屋やエセインテリの化けの皮をはがすというか、本当のところをズバズバ突くところにかなり衝撃を受けた。
「裸の王様」に出てくる子どもみたいな。「裸じゃん。服着てないじゃん」って言っちゃうみたいな。

すっかり佐野洋子信奉者になっちゃって、随分影響を受けたように思う。
考え方とかものの見方はもちろん、文体とかも。

1年くらい前かなあ、新潮の文芸誌『Yom Yom』に、「もうすぐ死ぬから嫌われるのを覚悟で書くけれど、日本人は分を知るということを忘れてしまったようだ」みたいなことを書いていて、この人相変わらずすごい…と苦笑いしてしまった。

わたしのもってる佐野洋子さんの本たち。ほかにハードカバーもある。
タイトルだけ見ても過激ですね。

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佐野洋子さん、たくさんの良い刺激を、大変ありがとうございました。

どうぞ安らかにお眠りください。
心よりご冥福をお祈りします。

| 本・雑誌 | 20:46 | comments(0) | trackbacks(0)
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