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『トイレット』という映画を6月に試写会で観て紹介記事も書いたのですが、
ここ数日新聞でレビューや広告を目にして、いよいよ公開となったのだと知る。
あれ観て以来、皮から餃子を作りたくてたまらなかった(そういうシーンがあるのです。あ、とっても面白い映画ですよ!)。
というわけで、作ってみました。
皮がよくのびる〜。気持ちいい!
水餃子ではなく、あえて焼きで(というか映画が焼きだったから…!)。
少し膨らんでふっくら、ぴっかぴか。
きれいな焼き色もつきました。
おいしかった!
お腹いっぱい!
代々木にあるカンボジア料理の「アンコールワット」。訪れるのは何回目だろう。
いつ行っても和むし、何を頼んでもおいしい。
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人間は言葉で伝え合うことができる唯一の生き物。
言葉で伝える努力を怠ってはいけないなと思う。
「言葉では伝えられない」って、前はよく言っていたけど、今はなるべく言わないようにしてる。
伝わるにせよ伝わらないにせよ、言葉で伝える努力をしなくちゃいけないと思っているから。
無印良品の「ドライジンジャーエール」がおいしくて、
ネットで何気な〜くジンジャーエールについて調べるうち、手づくりできることを発見!
矢も盾もたまらなくなり、月曜から仕事帰りにショウガとレモンを買い込む。
そして夜中のジンジャーシロップ作り(笑)
ネットで見たレシピ等を参考に、適当に作ってみました。
水 500g
ショウガ 250g
ザラメ 200g
レモン 1個
1.皮をむいたショウガを薄切りし、水に入れて沸騰させる。
2.中火にしてザラメ投入。30分ほど煮る。
3.最後に火をとめてレモンの絞り汁投入。
こんな感じになります。
あら熱がとれたら、ショウガごと瓶に入れて冷蔵庫で保存。
水や炭酸水と割って飲みます。
お酒で割ってもいいし、紅茶に入れればジンジャーティーですね。
まずはやはり炭酸水でしょう!
はたしてお味は……、これが、めちゃくちゃおいしかった!
しょうがの味がしっかりして、じつにうまいジンジャーエールですっ!
シロップ:炭酸水は3:7くらい? お好みで。
煮詰めたらシロップが少なくなっちゃったので、倍くらい作ればよかったな…
蜂蜜つかったり、こんなふうに「煮つめる」んじゃなくて「漬ける」やり方とか色々あるみたいだけど、わたしはこのやり方で気に入ったので、
今後もこれに若干の変更を加えるくらいで作ってみようと思う。
白砂糖でなくザラメってのはだれかさんのアイデアなんだけど(ブログで見た)、黄金色に色づいて最高! 味もコクがあってよいです。
煮るときに、好みで唐辛子(鷹の爪)を一本入れたり(←さらにパンチが出る)、
あるいはシナモン1本、ローリエを数枚、などを入れてもよいみたい。
しかしなんというか、最近気づいたけど、
こういうとき、わたしの「作りたい」熱はかなり激しい。
どうにも止められない。
お菓子作りとかも、そう。化粧水作りとか、ソイポケを始めたときもそうだったなぁ。
どうも、興味をもつと、作ってみないことにはどうにもこうにも気がすまない人間みたいです…
ほんと最近気づいたんだけど。
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この大量のショウガはどうしようかなぁ。
クッキーやケーキに入れて焼こうかなぁ。あ、ショウガのジャムなんてもよいんじゃないか?
そんなこと考えるのもまた楽しいのです…!
『BRUTUS』7月号を読んだら、面白そうな食に関する本がたくさん紹介されていて、思わず赤丸をつけてチェック。
読んだのはこんなの。
■『女たちよ!』伊丹十三(新潮文庫)
なんで今まで読まなかったか…と後悔。この本物志向は、本物だ…
この時代にスパゲッティのゆで方(アルデンテ!)を伝授。美学に貫かれたエッセイ。
P70「すぐれた舌を持っている人は、これから作ろうとする料理をどういう味にするか、にはっきりしたイメージを持っている。イメージがあるから途中の段階でだんだん味を整えていくことができる。」
音楽も同じだ〜! イメージが大事、「考える」より「感じる」ことが大事、と思います。
料理と音楽はホントによく似てる。
カルボナーラの作り方が載ってますが、もともと、ローマの、労働者の食べ物なんだそうで、なるほどなと思った。
■『いつも、ふたりで ばーさんがじーさんに作る食卓』岡西克明,岡西松子(講談社)
これ大人気のブログなんですってね。それを書籍化したもの。
60代の仲良しご夫婦の食卓。
ご主人の体のためにカロリーを抑えつつも、中華にイタリアンにとハイカラな毎日のご飯。
奥様の愛が感じられます。
「なんて素晴らしい食卓!」と驚く人が多いだろうけど、わたしはうちの母親の食卓に似てるなぁと思った。ブログ書けば間違いなくいける。でも書く人がいません(このご夫婦はご主人がブログ担当)。
■『土を喰う日々―わが精進十二ヵ月』水上勉(新潮文庫)
福井の貧農に生まれた水上氏は京都の禅寺に出され、そこで精進料理を教わる。
畑の野菜を、皮も無駄にせず、何かを洗った水も捨てずに樹木や畑にかける。
そこで水上氏が思い至ったのは、「食べる」ということはすなわち「土を食らうことなのだ」ということでした。
本書では、水上氏がそんな少年期の体験をもとに、軽井沢において山菜や木の実、芋、菜っぱ、土にはぐくまれる材料からさまざまな料理を作ります。
これ、食に興味のある人はもちろん、現代人必読の書ではないかなぁ。すばらしいです。本来の食生活とはかくあるべき、と思います。
食のことをとやかくいうのは恥ずかしく、学問として成立しないと考えられていた。それを研究テーマにしてしまった石毛氏と森枝氏の対談。
わたしが面白かったのは「第二章 魚醤・シオカラ談義」と「第四章 文化“麺”談」。
【第二章 魚醤・シオカラ談義】
いわゆる「うま味」の分布は、北海道を除いた日本と朝鮮半島、中国北東部あたりが「穀醤」卓越地帯で、東南アジアが「魚醤」卓越地帯なんですって。穀醤とは醤油や味噌ね。
魚醤はシオカラがもとになっているんだとか。それが液体になった。
魚醤は、高温多湿な東南アジアの水田地帯で、増殖された魚が乾季になって水が引くときに川に移動する。それを長期保存しようとして生まれたものだそうです。
日本では今や秋田の「しょっつる」など、一部の地域にしか残っていないけれど、かつては魚醤を用いる文化圏だったとのこと。
P69「日本にも水田漁業はあった。(略)歴史的記録を相手にして、内陸部の農民にとっては、商人から買う塩蔵魚や干物がごちそうで、無塩の魚、つまり鮮魚を食べる機会はめったになかった、などといわれますが、それは、魚といえば海産魚という思い込みです。水田漁業の産物の淡水魚から、動物性のたんぱく質を補給していたはずなのですが。」
穀醤は魚醤のあとにつくられるようになった。
P74「穀醤がつくられるようになると、穀醤の方が上等の食品だとされ、また大量につくることができる……。魚なんて一家にとれる量なんて知れている。魚醤は、もともと自家消費用につくったものなんです。大量につくれる穀醤は、商業に結合し、商品化されやすい。そういったことで、どんどん東アジアでは穀醤がとってかわってしまった。」
【第四章 文化“麺”談】
麺談義は面白い。イタリアのパスタも中国から伝わったのでは?という説が有力みたい。どのようにしてかはよくわからないみたいだけど。
中国語では、麺は小麦粉という意味なのだそうで、そこから派生した餅の話も面白い。
そっか、お餅はもともと小麦粉で作ったものを意味していたんだな。
P112「石毛 麺は中国語では小麦粉という意味なんです。小麦粉を加工した食品が、餅。胡餅の「胡」というのは中央アジアを経由して、西側から中国にもたらされた文物をさす。胡餅は、発酵させない小麦粉生地を円盤形にして焼いた食べもので、ゴマ粒をたくさんくっつけたものが多い。ゴマ(胡麻)も胡の字がつくでしょ。西域からの伝来。
現在の中央アジアもナンをよく食べますよね。ナンというのは、タヌール、タンドールなどといわれる円筒形のかまどを熱して、かまどの側壁に発酵させた小麦粉生地を薄く延ばしたものを貼りつけて、焼く。最初、小麦と一緒に中国に伝わった食品は、ナンや胡餅のたぐいじゃないかという気がする。」
ところで、二章と四章ではないんだけど。これ、強烈!!! ああ、なんとまあ食の文化はさまざまであることよ……
「石毛 ハッザが、積極的に調味料として使うものが一つあるんです。何かといったら、クサムラカモシカなどの草食動物の腸管の中身をしごいたやつです。腸の内容物というといい言い方だけど、別の言い方をしたら製造過程にあるウンコですからね(笑)。それを肉につける。茹でるときの湯に放り込む。彼らにとっては、おいしく味をつける調味料です。しかしわたしにとっては…糞の臭いがするのと、(略)胆汁が混ざっているから苦いんですよ。」
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ちなみに『BRUTUS』7月号では木下謙次郎という人を取り上げています。
衆議院議員、貴族院議員を務めた政治家なんですって。1925年発行の『美味求真』を書いた人。
VIVA大分本なのです!
しっかり覚えていてくださった皆さん、メールなど本当にありがとう!
朝、長崎の原爆の日のニュースを見て思い出してくださった方もいらっしゃるかしら…?
これ前にも書いたかもしれないけれど、
65年前の8月9日、福岡の小倉に原爆を落とそうと思っていたアメリカが、
視界不良で急遽長崎に変更した、というのは有名な話。
リリー・フランキーさんの『東京タワー』にもオカンがこの話をする場面があります。
そしたらお隣大分は中津・宇佐に住んでいた祖父母や父はどうなっていたかなと思うのです。
母はまだ生まれていないけど。
この人たちに何かあったら、わたしは生まれていなかった。
誰しも、ものすごい偶然がたくさん重なって奇跡的に生まれてくるのだけど、
この話はとても象徴的で、奇しくもこの日に生まれたということは、
やはり自分はどうしても生きなくてはいけないだろうと思わされる。
平和の子なんだ、わたしは。勝手にそう思っている。
1週間前、久々にパーマをかけたらちっともかからず、
昨日人生初「かけ直し」に行って、それでもゆる〜くしかかかっていない…
なんというまっすぐで健康な髪よ…
細いんだけど強くてまっつぐで、曲げようとしても曲がらない…
「ピーンとまっすぐに戻ろうとするんじゃない? 性格みたいね」
と母に笑われました(そういうあなたの髪質とソックリですけど!)。
そんな新しい歳の始まりです。
舞台は日本に移されていたんだね。知らなかった。
原作に忠実といえば忠実だったけど、原作以上ではなかったなぁ。
わたしが好きな、アリエッティが男の子に得意げに本を読んであげる場面(確か川べりに花びらが舞っているような美しい場面だったかと…映像化されると思ってた)とか、アリエッティが男の子に、「人間のものを『借りて』暮らしている」と説明したとき、男の子から「それは『盗む』ではないか」と言われて憤慨する場面…がなかったのが残念だったな。
アリエッティが「人間は自分たちに仕えるものとして存在している」と思っているというのも省かれていた。これ、かわいくてユニークな視点だと思うんだけど。
小さく、きれいに、わかりやすくまとめたという印象でした。
あとお父さんがすごくかっこよく描かれてた。無口で、頼りになる働き者の男性…という感じで。
わたしは岩波の挿絵の影響で頭の薄い普通のおじさんという印象をもっていたので(笑)、あまりのかっこよさに、ちょっと驚きました。
メイド役の樹木希林と、お母さん役の大竹しのぶ(声優)がよかった!