前職で大変お世話になった方と、またお仕事をご一緒することになった。
本当に嬉しくありがたいこと。
一方で、分量が多く原稿料が安いため、恐縮と申し訳なさとで、複雑な気持ちでもある。
また、今の職場の人間がとても失礼で社会常識がないことが恥ずかしくもある。
恥ずかしいというのは、例えばこんなところにも出る。
昨年末、先生からご挨拶にいらっしゃる旨の連絡があったのだけど、その電話を、今の「上司」にあたる人間が受けた。
彼女(上司)は電話口で駅から事務所までの行き方を説明して、「わからなかったらお電話ください」と言って切っていた。
もしかして先生からの電話だったのかな、まさか10分近くかかる道のりを勝手に来られるよう指示したのかしら、やりかねないけどまさか……と思いつつ確認すると、嫌な予感的中でした。
驚いてすぐさま先生に折り返し電話をし、「駅までお迎えに行きますので! 着いたらお電話ください」と伝える。
という経緯があって、今日という日を迎えた。
駅の改札で初めてお目にかかり、事務所まで一緒に歩き、短い時間だったけど、たくさんお話をさせていただいた。
事務所での時間はやっぱり窮屈で、失礼で、恥ずかしくて辛かったけど、お会いできたことは本当に嬉しかった。
群れに属していた自分を確認して安心したというのもあるんだろうな。気持ちが楽になる。
会話のない、人間として扱われていないと感じるような職場では、やはり知らぬ間に心がささくれだってしまっているのだ、と気付く。
「群れ」という言葉を使ったのは、読み終わったばかりの『
ぐるりのこと』(梨木香歩著)という本に出て来たから。
「群れ」にあるということ、それ自体が人を優越させ、安定させ、ときに麻薬のような万能感を生む。そして人は時々、群れを外れている人に向かってそれを確かめ、群れの中にいることの快感を得たいと思う。
わたしは群れにいたとき、よく「群れるのが嫌い」と口にしていた。事実、お昼は一人で過ごしたりして、それは20代女子としては相当変わった行動と見られていた。
だけど本当は守られていたんだな。
気付かないうちに、安心感を得ていたのかもしれないな。
群れでのすべての経験と人脈は、わたしにとって何よりの「宝」です。
こんなふうに慕ってくださる方が、助けてくださる方が一人でもいればいいじゃないか。がんばれるじゃないか。
先生ありがとう。力を与えていただきました。
『ぐるりのこと』は、非常に深い思索が綴られているエッセイでした。
話題がこっちからあっちに飛んで、その思考回路についていくのが大変。声高に一方的な主張をなさらず、真剣に考え尽くす姿勢がすばらしいと思った。
表紙は南桂子さんの「公園」という作品。南桂子さんのことは、以前
ここで書きました。
この作品も素敵だな。
そういえば、上記の先生は鳥がお好きなのでした。
お電話すると、いつも「ピピピ、チュンチュン……」という鳴き声が聞こえていたっけ。