大変辛いけど、しかし興味深く、連合赤軍関係の本を色々と読んでいます。
■『あさま山荘1972(上)』坂口弘(彩流社)
事件の詳細な記録として大変貴重だと思う。
何しろ著者の所属していたのは「京浜安保闘争」というだけあって、行動範囲がわたしが生活圏とかぶっている。ああこのあたりを歩いたのかもしれない、と思ったら急に身近に感じられて感慨深い。
最初は学生運動、次に大学をやめて労働運動。徐々に過激な方へ、武装の方向へと進んでいってしまう。
そもそも大学をやめて就職したのは組合を作って労働運動を行うためであり、だれかのアパートで活動の作戦会議を行い、安い店に飲みに行き、翌日はきりっと工場で働くというあたりは青春の香りがする。
獄中から、革命左派の武装化に対して警告した組織の幹部(河北三男など)もいたけれど、政治ゲリラに、過激な武装闘争にのめりこんでいってしまった。政治ゲリラの誤りをただそうとした彼に対して、「ひとえに同士を破滅から救いたいと願うわれわれへの深い愛情からであろう」と今の心境がつづられる。
求刑、闘争、何かことが起こるたびに、きわめて人間的な感性で様々なことを感じている様子がよくわかる。
とにかく真面目な性格で一本気、多少盲目的に突き進んでしまったところはあるだろうが、決してロボットのように何も感じないまま戦いに突き進んでいったわけではないのだ、と思った。
それにしても、著者の記憶力の確かさには驚く。
たとえばわたしは、たった2年前仕事をやめるという一大事についてこんなに詳細に書けるかと問われたら、心もとない。
そして、この論理的な文章! ものすごい能力だ。
これを刑務所で書きあげたのだから、その膨大な労力ははかりしれない。自らの誤りをただすことに忠実であろうとする筆者の必死の決意が読み取れる。
■『あさま山荘1972(下)』坂口弘(彩流社)
下巻は「あさま山荘事件」と「山岳ベース事件」がメイン。
山岳ベースの初期において、森恒夫の展開する「銃による共産主義化論」に不安を抱いている。
永田洋子は逆に共感し信頼していたようだ。
「私は彼女と反対に、森君の言っていることがサッパリ理解できず、彼のペースで怪しげな理論がどんどん創られていくことに不安が増していくばかりであった。」
ああこれは正常な感覚だったのに!
さらに森が、「真の総括をさせるために殴る。殴ることは指導である。殴って気絶させる。気絶から覚めたときには別の人間に生まれ変わって共産主義化を受け入れるはずである」と言い出したときにも、内心驚いている。
「だが、私も含めて激しく躊躇したり反対する者は一人も居なかった。私は残酷な提起だと思いはしたが、気絶するまでという歯止めがかけられているので、酷い事態にはなるまいと思い、賛成した。しかし、これが大変な思い違いであることを、殴打が始まると思い知らされるのである。」
森恒夫のあまりに滅茶苦茶な論理展開には言葉を失う。
だれが聞いてもあきらかにおかしな論理で自己を正当化し、人を殺す。
「他人を殴打して自己の総括をはかるとは、何という倒錯した論理だったことだろう!」と著者。
わたしは「あさま山荘連合赤軍への道程」の感想のところで、「勇気がなかったんだよ!」という言葉への違和感を書いたけれど、やっぱり誤りを誤りと言い出せなかったゆえに起こったという面は濃厚だったようだ。
やはり、いわゆるいじめに通じる日本人的な問題も含んでいるのだなあと思った。
あんなに深刻で凄惨な、14人もの命を奪うという取り返しのつかない事件が、そんな理由で起きてしまったとは、ますますもって、やりきれない。
■『続あさま山荘1972』坂口弘(彩流社)
山岳ベース事件の続きと、その後の判決などの記録。獄中で始めた歌作についても触れられる。
遠山美枝子さんのくだりは、映画で観たとおり。どの総括も、読みながら、心に、頭に、入ってこない。これが本当に起こったことだとは、とてもじゃないが、信じられないし、信じたくない。思考が別のところに飛んでいく。何を馬鹿なことをしているのだ! 今すぐやめろ! と心で叫び、本とぱたんと閉じたことが何度もあった。
「恨みや憎しみのない人をどうしていきなり刺すことなどできるだろうか。だが、刺さねば、自分が総括され殺されてしまうのだ。私はアイスピックを握ると背中に回し、山崎君の太股をジーッと見詰めた。そうやって蛮勇が湧いて来るのを待った。二、三分そうしていたが、ちっとも刺す気になれない。すると森君が、何をしているんだ、という目付きで、また私の目を見た。もう躊躇できない。私は、山崎君の前に行くと、彼の左太股を、ズボンの上から、えいっ、ままよ、とアイスピックを刺した。山崎君は「ウッ」と唸り声を挙げると同時に、左足を引っ込めようとした。アイスピックは太股から外れて下に落ちた。やり直さなければならなくなった。私はまた、必死の形相で、思い切り力を入れて刺した。今度は手を離しても、アイスピックは左太股に刺さったままだった。わたしはいたたまれなくなって現場を離れた。」
坂口が逮捕されたのは25歳。罪の意識に沈む日々の中で、このままで終わりたくないという強い思いがあり、差し入れてもらった『マルクス・エンゲルス全集』全41巻、『レーニン全集』全45巻を6年かけてむさぼるように読み耽るなど、旺盛な学習意欲を燃やしている。
また、山岳ベース事件の分析のため、森恒夫になりきって共産主義化の理論を解明するために精力を注いでいる。これはあまりにも苦しい作業で、聖書(正確には聖書ではなく、犬養道子氏の解説書)を読み、人間以下の存在に堕ちて、死の苦悩にのたうつ人がいることを救いとしている。
坂口の歌作。
「総括をされて死ねるかえいままよと吾は罪なき友を刺したり」
(上で引用した、山崎順氏を刺突した場面を詠んだ歌)
「死刑囚と呼ばるるよりも呼び捨ての今がまだしもよろしかりけり」
「わが胸にリンチに死にし友らいて雪折れの枝叫び居るなり」
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この本が書かれたのは1995年だが、彼はこの20年あまりの社会主義国で起こった歴史的出来事にショックを受けている。
一体、何を信じて闘ってきたのか、自分の人生とはなんだったのかという思いだろう。到底わたしなどにはわからない心情とは思うが、想像してみる。しっかりと学ばないまま、世界情勢をつかまないまま、過激な方向へ突っ走ってしまった事件だったんだろうか。そういう面も、あったかもしれない。
「冷戦が終結すると、また頭の痛い問題が持ち上がった。それは、朝鮮戦争に始まる戦後東アジアの冷戦構造の中で戦われてきた反戦平和運動や日米安保反対闘争をそう再評価するかという問題である。(略)厄介なのは、ルーツたる朝鮮戦争で、北の金日成政権による計画的な武力南進が開戦の原因だたこと、これが今や疑いようもない事実として定着していることである。北朝鮮の救いようのない現状が右の確信を深めてもいる。そうするとわれわれは、基本的に侵略者を擁護する陣営に属して安保破棄を叫び、反戦平和を闘ってきたのだろうか。朝鮮戦争がそうならば、ベトナム戦争はどうなるのか。
いずれにせよ社会主義は経済を発展させることが出来なかった。歴史発展の必然的な産物などではなく、大いなるユートピアにすぎないことがあからさまになってしまったのである。この冷厳な事実は、これからも私のような元社会主義信奉者の思想をさらに揺さぶってくるものと思われる。」
■『氷の城 連合赤軍事件・吉野雅邦ノート』大泉康雄(祥伝社)
これは、吉野雅邦の親友が、彼の獄中からの手紙などを引用しつつ、事件にというより、吉野という人間に接近しようとしてかかれたもの。
筆者は小学館の編集者でさすがに文章がうまい。そして何より、親友への愛情が感じられる。吉野の両親の思い、恋人の殺害に加わってしまったこと…。読みながら何度も涙が出そうになった。
吉野の優しくて真面目な人物像が浮かび上がる。自殺をはかるなど、悩み深い面も。
知的障害のある兄がいること、両親は広島出身で、親戚には被爆して亡くなった人もいること。コーラス部に入っていたこと、恋人、金子みちよさんを心から愛していたこと。
これは今後も読み返したい。図書館で借りた本だったけど、文庫で出ているようだったので、購入しました。
■『囚人狂時代』見沢知廉(新潮文庫)著者の見沢氏は、千葉刑務所で吉野雅邦と一緒になっている。
刑務所の皆から「あさまさん」と呼ばれている吉野。年末恒例の「囚人歌合戦」に出場することになり、貧血でフラフラになるほど練習し、緊張してこちこちになりながら素晴らしい歌を披露したエピソードなどから、いかに真面目な人物であるかがよーくわかる。
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まだ読みたい本は他にも色々。
特に、昨年出た、山本直樹の『レッド』っていうマンガが読みたいんだよなあ…。もうすぐ2巻も出るようだ。気になる〜