文月遊亀 memo*

日々のこと、音楽や本のこと、心の赴くままに書いています。
簡単な自己紹介はプロフィールにて。

コメント大歓迎です。ピンとくる記事がありましたら気軽に書き込んでいただけるとうれしいです。
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7月28日(月)コーヒー酒、解禁
漬けてから1カ月たちました。コーヒーのお酒、解禁です! 漬けたてと比べてみると、真っ黒になったのがわかります。
じつはちょこちょこ味見していたのですが、改めて飲んでみると――。

おいしー! 美味です! だいぶまろやかになりました!
でも、まだ多少アルコールがツンとしているかも。
これを3カ月放置すると、さらに深くいいお味になるそうなので、楽しみにチビチビ飲みたいと思います。

わたしは毎朝一人分の豆をひいて、手淹れしているので、朝も晩もコーヒー漬けになりそうです。口の中がいつも苦み走っている状態! 毎晩飲むわけじゃないけどね。

一カ月たったら苦くなるからコーヒー豆を引き上げるべし、という意見と、そのままでも大丈夫という意見があるんだけど、どうしようかな。とりあえず漬けっぱなしで様子を見てみようかな。

| 食(つくる、食べる。お店も) | 22:42 | comments(2) | trackbacks(0)
7月24日(木)黄金町映画祭、いよいよ今週末より開催!
いよいよ明後日、26日(土)から、「第1回横浜黄金町映画祭」が開催されます!

準備に追われて、チョキチョキ、工作。
高校時代の文化祭を思い出しました。

コラージュみたいなパネル作り。


ボランティアスタッフの力作! 見事に可愛い! 素晴らしいです!!

| 映画 | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
7月15日(火)ハードカバー用ブックカバー
だいぶ前に文庫本用のブックカバーを作りましたが、今度はハードカバー用のブックカバーを作りました。
バンドは共布でなく、チロリアンテープを使ったら楽だった。
 

しおりの羊はプレゼントでいただいたものですが、しっぽが長ーい。
羊のしっぽって、実際はもこもこっとしてるから、見るたびに「変なの〜」と思ってしまいます。
それに、しっぽの紐をページの間に挟むと、おしりを上にひっぱりあげる格好になってしまうのもちょっと変。いつもとれそうになっちゃう。
可愛くて気に入ってるんだけど、使い方、これで合ってるのかな。
| 暮らしの楽しみ(食以外) | 22:36 | comments(0) | trackbacks(0)
7月11日(金)連合赤軍事件関係の本
大変辛いけど、しかし興味深く、連合赤軍関係の本を色々と読んでいます。

■『あさま山荘1972(上)』坂口弘(彩流社)
事件の詳細な記録として大変貴重だと思う。

何しろ著者の所属していたのは「京浜安保闘争」というだけあって、行動範囲がわたしが生活圏とかぶっている。ああこのあたりを歩いたのかもしれない、と思ったら急に身近に感じられて感慨深い。

最初は学生運動、次に大学をやめて労働運動。徐々に過激な方へ、武装の方向へと進んでいってしまう。
そもそも大学をやめて就職したのは組合を作って労働運動を行うためであり、だれかのアパートで活動の作戦会議を行い、安い店に飲みに行き、翌日はきりっと工場で働くというあたりは青春の香りがする。

獄中から、革命左派の武装化に対して警告した組織の幹部(河北三男など)もいたけれど、政治ゲリラに、過激な武装闘争にのめりこんでいってしまった。政治ゲリラの誤りをただそうとした彼に対して、「ひとえに同士を破滅から救いたいと願うわれわれへの深い愛情からであろう」と今の心境がつづられる。

求刑、闘争、何かことが起こるたびに、きわめて人間的な感性で様々なことを感じている様子がよくわかる。
とにかく真面目な性格で一本気、多少盲目的に突き進んでしまったところはあるだろうが、決してロボットのように何も感じないまま戦いに突き進んでいったわけではないのだ、と思った。

それにしても、著者の記憶力の確かさには驚く。
たとえばわたしは、たった2年前仕事をやめるという一大事についてこんなに詳細に書けるかと問われたら、心もとない。
そして、この論理的な文章! ものすごい能力だ。
これを刑務所で書きあげたのだから、その膨大な労力ははかりしれない。自らの誤りをただすことに忠実であろうとする筆者の必死の決意が読み取れる。

■『あさま山荘1972(下)』坂口弘(彩流社)
下巻は「あさま山荘事件」と「山岳ベース事件」がメイン。
山岳ベースの初期において、森恒夫の展開する「銃による共産主義化論」に不安を抱いている。
永田洋子は逆に共感し信頼していたようだ。

「私は彼女と反対に、森君の言っていることがサッパリ理解できず、彼のペースで怪しげな理論がどんどん創られていくことに不安が増していくばかりであった。」

ああこれは正常な感覚だったのに!
さらに森が、「真の総括をさせるために殴る。殴ることは指導である。殴って気絶させる。気絶から覚めたときには別の人間に生まれ変わって共産主義化を受け入れるはずである」と言い出したときにも、内心驚いている。
「だが、私も含めて激しく躊躇したり反対する者は一人も居なかった。私は残酷な提起だと思いはしたが、気絶するまでという歯止めがかけられているので、酷い事態にはなるまいと思い、賛成した。しかし、これが大変な思い違いであることを、殴打が始まると思い知らされるのである。」

森恒夫のあまりに滅茶苦茶な論理展開には言葉を失う。
だれが聞いてもあきらかにおかしな論理で自己を正当化し、人を殺す。
「他人を殴打して自己の総括をはかるとは、何という倒錯した論理だったことだろう!」と著者。

わたしは「あさま山荘連合赤軍への道程」の感想のところで、「勇気がなかったんだよ!」という言葉への違和感を書いたけれど、やっぱり誤りを誤りと言い出せなかったゆえに起こったという面は濃厚だったようだ。
やはり、いわゆるいじめに通じる日本人的な問題も含んでいるのだなあと思った。
あんなに深刻で凄惨な、14人もの命を奪うという取り返しのつかない事件が、そんな理由で起きてしまったとは、ますますもって、やりきれない。

■『続あさま山荘1972』坂口弘(彩流社)
山岳ベース事件の続きと、その後の判決などの記録。獄中で始めた歌作についても触れられる。
遠山美枝子さんのくだりは、映画で観たとおり。どの総括も、読みながら、心に、頭に、入ってこない。これが本当に起こったことだとは、とてもじゃないが、信じられないし、信じたくない。思考が別のところに飛んでいく。何を馬鹿なことをしているのだ! 今すぐやめろ! と心で叫び、本とぱたんと閉じたことが何度もあった。

「恨みや憎しみのない人をどうしていきなり刺すことなどできるだろうか。だが、刺さねば、自分が総括され殺されてしまうのだ。私はアイスピックを握ると背中に回し、山崎君の太股をジーッと見詰めた。そうやって蛮勇が湧いて来るのを待った。二、三分そうしていたが、ちっとも刺す気になれない。すると森君が、何をしているんだ、という目付きで、また私の目を見た。もう躊躇できない。私は、山崎君の前に行くと、彼の左太股を、ズボンの上から、えいっ、ままよ、とアイスピックを刺した。山崎君は「ウッ」と唸り声を挙げると同時に、左足を引っ込めようとした。アイスピックは太股から外れて下に落ちた。やり直さなければならなくなった。私はまた、必死の形相で、思い切り力を入れて刺した。今度は手を離しても、アイスピックは左太股に刺さったままだった。わたしはいたたまれなくなって現場を離れた。」

坂口が逮捕されたのは25歳。罪の意識に沈む日々の中で、このままで終わりたくないという強い思いがあり、差し入れてもらった『マルクス・エンゲルス全集』全41巻、『レーニン全集』全45巻を6年かけてむさぼるように読み耽るなど、旺盛な学習意欲を燃やしている。
また、山岳ベース事件の分析のため、森恒夫になりきって共産主義化の理論を解明するために精力を注いでいる。これはあまりにも苦しい作業で、聖書(正確には聖書ではなく、犬養道子氏の解説書)を読み、人間以下の存在に堕ちて、死の苦悩にのたうつ人がいることを救いとしている。

坂口の歌作。
「総括をされて死ねるかえいままよと吾は罪なき友を刺したり」
(上で引用した、山崎順氏を刺突した場面を詠んだ歌)

「死刑囚と呼ばるるよりも呼び捨ての今がまだしもよろしかりけり」
「わが胸にリンチに死にし友らいて雪折れの枝叫び居るなり」

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この本が書かれたのは1995年だが、彼はこの20年あまりの社会主義国で起こった歴史的出来事にショックを受けている。
一体、何を信じて闘ってきたのか、自分の人生とはなんだったのかという思いだろう。到底わたしなどにはわからない心情とは思うが、想像してみる。しっかりと学ばないまま、世界情勢をつかまないまま、過激な方向へ突っ走ってしまった事件だったんだろうか。そういう面も、あったかもしれない。

「冷戦が終結すると、また頭の痛い問題が持ち上がった。それは、朝鮮戦争に始まる戦後東アジアの冷戦構造の中で戦われてきた反戦平和運動や日米安保反対闘争をそう再評価するかという問題である。(略)厄介なのは、ルーツたる朝鮮戦争で、北の金日成政権による計画的な武力南進が開戦の原因だたこと、これが今や疑いようもない事実として定着していることである。北朝鮮の救いようのない現状が右の確信を深めてもいる。そうするとわれわれは、基本的に侵略者を擁護する陣営に属して安保破棄を叫び、反戦平和を闘ってきたのだろうか。朝鮮戦争がそうならば、ベトナム戦争はどうなるのか。
いずれにせよ社会主義は経済を発展させることが出来なかった。歴史発展の必然的な産物などではなく、大いなるユートピアにすぎないことがあからさまになってしまったのである。この冷厳な事実は、これからも私のような元社会主義信奉者の思想をさらに揺さぶってくるものと思われる。」


■『氷の城 連合赤軍事件・吉野雅邦ノート』大泉康雄(祥伝社)
これは、吉野雅邦の親友が、彼の獄中からの手紙などを引用しつつ、事件にというより、吉野という人間に接近しようとしてかかれたもの。
筆者は小学館の編集者でさすがに文章がうまい。そして何より、親友への愛情が感じられる。吉野の両親の思い、恋人の殺害に加わってしまったこと…。読みながら何度も涙が出そうになった。
吉野の優しくて真面目な人物像が浮かび上がる。自殺をはかるなど、悩み深い面も。
知的障害のある兄がいること、両親は広島出身で、親戚には被爆して亡くなった人もいること。コーラス部に入っていたこと、恋人、金子みちよさんを心から愛していたこと。
これは今後も読み返したい。図書館で借りた本だったけど、文庫で出ているようだったので、購入しました。


■『囚人狂時代』見沢知廉(新潮文庫)
著者の見沢氏は、千葉刑務所で吉野雅邦と一緒になっている。
刑務所の皆から「あさまさん」と呼ばれている吉野。年末恒例の「囚人歌合戦」に出場することになり、貧血でフラフラになるほど練習し、緊張してこちこちになりながら素晴らしい歌を披露したエピソードなどから、いかに真面目な人物であるかがよーくわかる。

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まだ読みたい本は他にも色々。
特に、昨年出た、山本直樹の『レッド』っていうマンガが読みたいんだよなあ…。もうすぐ2巻も出るようだ。気になる〜
| 本・雑誌 | 23:31 | comments(0) | trackbacks(0)
7月9日(水)コッポラの胡蝶の夢


マスコミ試写会。京橋の映画美学校にて、「コッポラの胡蝶の夢」を鑑賞。
映画美学校は、古い木造で、雰囲気があって素敵。

原作は、20世紀を代表するルーマニア人宗教学者、ミルチャ・エリアーデの小説『若さなき若さ』。言語学者が言葉の起源を探るという映画らしからぬテーマ。
東欧の雰囲気たっぷり、魅力的。ちょっと旅行気分。

込み入った不思議なストーリーですが、楽しめました。
| 映画 | 23:40 | comments(0) | trackbacks(0)
7月8日(火)「赤毛のアン」切手シート

「赤毛のアン」100周年記念の切手シート。
かーわーいーいー。

6月20日発売で、その日職場の近くの郵便局に早速買いに行ったら、もはや売り切れと言われて意味がわからなかったのですが、数日後、自宅のそばにて入手しました。

| 暮らしの楽しみ(食以外) | 23:35 | comments(0) | trackbacks(0)
7月6日(日)「第1回横浜黄金町映画祭」のお知らせ
わたしの愛する「シネマジャック&ベティ」にて、「第1回横浜黄金町映画祭」なる映画祭が行われます!
わたしはボランティアスタッフとして、パンフレット編集のお手伝いなんぞしておりまして。
以下、ちらしなどから抜粋。

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かつて数多くの映画館が存在し、名画の舞台にもなった、横浜・黄金町。
横浜の映画文化の一時代を築いたこの街に、唯一残った名画座「シネマジャック&ベティ」で映画祭が始まります。
第一回目となる今回のテーマは、「再上陸――海外が注目する日本の才能」。
優れた内容でありながら、劇場で公開される機会に恵まれなかった日本映画の中から、海外の映画祭出品作品に注目しました。
横浜ゆかりの映画も特集上映します。
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公式サイトはこちら

mixiのコミュニティー「第一回横浜 黄金町映画祭」はこちら

黄金町にあった映画館はどんどんなくなっていき、昨年、日劇(濱マイクシリーズの舞台となった場所)という古い映画館まで取り壊されて、本当に残念だし悲しい…と思っていたら(「さよなら日劇」をご参照ください)、「シネマジャック&ベティ」が映画祭を開催するとの情報が。
ぜひがんばってほしい! と思い、ボランティアとしてお手伝いを始めた次第です(ちょっと、いや大分遅かったけど)。

黄金町よ、がんばれー! 文化再生なりますように!
そして、日本映画も、がんばれ!

というわけで、皆さまお誘い合わせの上、横浜・黄金町というディープな街にぜひおいでませ〜。
期間は7.26〜8.1です。

「横浜ゆかりの映画」とは『霧笛』『港の日本娘』『喜劇 家族同盟』『虹をわたって』などなど。
「黄金町映画」と称して、『我が人生最悪の時』『ヨコハマメリー』も上映。
映画評論家・佐藤忠男氏による講演や、監督によるトークショーなどもあります!
| 映画 | 23:29 | comments(0) | trackbacks(1)
7月2日(水)映画「靖国-YASUKUNI-」
レディースデー。「靖国-YASUKUNI-」鑑賞。
映画ばかり観てますな。そしてやけに社会派。がらにもなく。

わたしは靖国神社に行ったことがない。
あの戦争は侵略戦争だったと思っているから、お国のために亡くなった英霊をたたえよう、というのはちょっと違うなと思うのだ。

もちろん戦争で亡くなった方には心から哀悼の意を捧げる。
わたしの祖父の兄も、戦争で死んだ。祖母はその弟であるわたしの祖父と結婚し、母が生まれた。最初の夫である祖父の兄の戦死が、祖母のその後の人生に及ぼした影響ははかりしれない。

靖国神社は、国の都合で尊い命を奪っておいて、英雄として、神にしてまつっている。
そのあまりに勝手な論理に、納得いかない。あの場所に足が向かわない理由だ。

さて映画。
右翼の反対運動などで上映が中止されるなど物議を醸した作品で、監督が中国人であるということもあり、どんなふうに描かれているのか興味津々だった。

終始8月15日の靖国神社の様子を伝えるのだけど、怒声が響くわ、流血事件は起こるわ、実に激しい。こんなことになっているとは知らなかった。驚いた。

軍服を着た甚だ右寄りの人たち。その熱さが怖い。「天皇陛下万歳!」と叫んでいる。怖い。
アメリカの国旗を掲げて立つアメリカ人に、「昔は昔、今は今。今は同盟国だからよお。仲良くしなくちゃ」と話しかけるおじさんたち。と突然「出て行け! アメリカに帰れ!」と怒鳴ってくる人が。「広島を忘れないぞ!」という声も。
「小泉首相が参拝するのは、いいと思うのよね」と語り合う、どこにでもいそうな普通のおばちゃんたち。
かと思えば、「侵略戦争に加担させられた」として、靖国に祀るのをやめてほしいと申し出る遺族たちの集団。
はたまた肉親を返してと訴える台湾人女性。「台湾人は親日と見られていますが、それは間違いです」。その目には強い怒りが宿っている。
君が代斉唱を邪魔して暴行を受ける中国人男性。「お前中国人だな、とんでもねえ野郎だ! 中国に帰れ!」と繰り返し怒鳴るおじさん。
混乱の極み。こんな人がいるんだ…のオンパレード。
いったいいつの時代なんだ?という思いもわきあがる。これが戦後60年を経た国の姿か。

政府は、戦死した人に勲章を与えて賛美してきた、遺骨も遺族のものではない、という、お兄さんを戦争で亡くした住職の話が印象的だった。

そんな様子の合間に、「靖国刀」という日本刀を黙々と作り続ける90歳、現役最後の刀匠の姿が頻繁に挿入される。
靖国神社のご神体は刀であり(でもこのことを靖国神社側は否定しているそうです)、昭和8年から敗戦までの12年間、8100振りの日本刀が作られていたのだとか。

観ながら、ふと思う。
日本刀というのは、人を斬るための道具なんだよな、それ以外の使い道は…ないよね…ということは、これを作り続けるということは…えーっと…。
90歳の刀匠は、刈谷さんという方。職人らしく、口数少なく、鍛えられた技で、刀を作り続ける。その手は、熟達した、力強い、まさに職人の手。
本当に普通の好々爺。この方が、この伝統的な、そして恐ろしい、しかし神聖なるものとしての武器を作っているという構造に、なんともいえない複雑な気持ちになる。

知らなかった日本を見た。
監督は被侵略国である中国の方なのに、視点、描き方がとてもニュートラルなのがすごいと思った。刀匠・刈谷さんへの質問の仕方、話し方も、とても穏やかで、優しい。
きっと懐の深い、人間的にとても優しい人なのだろうなと思った。

英霊を敬うことと(靖国神社的理念。戦争美化につながる)、二度と戦争を起こさないと誓うこととは、小泉首相のなかでは一緒になっていたが、やっぱり矛盾していて、だから8月15日はあんな騒ぎになっているんだろう。
いつまでこんな騒ぎを続けるんだろう。

歴史は後から学ぶもので、実際に経験するものじゃないから本当のところはわからない。
侵略戦争だったという人がいて、そうではなかったと主張する人がいて。
でも、ちゃんと生き証人がいて、裁判で戦犯も裁いて、侵略戦争だったことは明らかなのに、歴史をねじまげようとする人がいるのは、どういうわけなんだろう。
国を愛するあまり? 日本が悪いことをするわけがないと。
でも悪いことをしたら反省しなくてはいけない。それが人間。
あ、だけど悪いことをした、と思っていないんだから反省のしようもない。堂々巡りだ。

はあ。色んな人がいて大変だ。日本だけではないと思うけど。
人間って、面白いけど、傲慢で勝手なところがあるね。
戦争をどうとらえるか。日本人としての誇り、というのをどう考えるか。
それから、日本の宗教って、神道って何なのか。神道は、もともとはシンプルで美しい信仰だと思う。それを巧妙に戦争に利用するあたりに、権力のいやったらしさ(岡本太郎語)を感じる。
今の靖国神社のあり方は、やっぱりあまりに多くの問題を含んでいると思う。
| 映画 | 23:03 | comments(16) | trackbacks(0)
7月1日(火)映画「チベットチベット」
映画の日。「チベットチベット」鑑賞。
監督は、大阪の、在日コリアン3世。キム・スンヨン(金昇龍)。
キムさんは、1世であるおじいちゃんおばあちゃんが言い続けた「民族の誇り」というのが何なのか、よくわからない。で、それを探して各国を旅する。そんなロードムービー。

まずは亡命したチベット人が住むインドの街を訪れ、皆が「チベットに帰りたい」と言うのを聞いて驚く。
キムさんは、韓国語は話せない。韓国に帰りたいなど思ったこともない。

次に向かうは本当のチベット(チベット自治区)。
そこで彼が見たのは、中国に侵攻され、美しいチベット文化が失われつつある様子だった。

スクリーンにうつるチベットの子どもたちの可愛いことといったら。
だからこそ、貧困、物乞いの哀しさが胸に迫る。
ストリートチルドレン。親のない子。

デモで「チベットに自由を!」と叫んだだけで中国側から殴られ、虐待を受けた、と話すチベットの人。
でも一般の中国人は、中国がチベット人に対してどんなひどいことを行ったことを知らされていないという。違いを見つければいくらでもあるけど、36年間日本に侵略されていた朝鮮と似ていると感じるキムさん。

ダライラマ14世に10日間の同行取材も行う。

観ながらわたしが考えていたのは、どうして人は人を征服し従属させようとするのだろうということ。
どうして力づくで自分の色に染め上げようとするのだろう。
人類の歴史はこの繰り返し。
戦争も、いじめも、みな同じ。
“違いを認める”ってことが、人間という動物にとっては一番難しいことなのか…?

身近なところでは、会社にもこういう人はいっぱいいる。
業者さん、あるいは部下を従わせて上に立ちたがる人。
あさま山荘の山岳ベース事件にもそういう面はあったな。
どうしてそうなっちゃうんだろう…。独裁ではなく本当にリーダーシップをとるということはとても難しいことだな、と最近思う。

で、話を戻して…。
民族の誇りとは何なのか。
キムさんは、民族にこだわると新たな紛争や差別を生むのではと考えていたが、最後に、自分の国を愛することが、世界の平和につながるんだと気付く。
で、「とりあえず本名(韓国名)を名乗ることにした」。
って、この感覚が、いい意味で軽くて、みずみずしくて、良いなと思った。
| 映画 | 23:57 | comments(0) | trackbacks(0)
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