ああ、気がつけばあさま山荘の映画のことばかり考えている。
あの音楽が頭の中で響いている。
あのふくれあがった顔が頭に浮かぶ。
だって、衝撃だった。
永田洋子は死刑囚として今も独房で生きている。調べてみると、本も出している! これは読んでみたい。
坂口弘も同じく死刑囚として生きており、やはり本を出している。これも読みたい。彼は俳人でもあるようだ。
この間の記事で、「勇気がなかったんだよ!」について書いたけど、うまく書けなかった。
ああでもないこうでもない、とずっと考えている。
つまり監督は、彼らの純粋な気持ちは尊重し、間違った方向に行ったこと、それを正せなかったことが問題だったと、そう言いたいんだろうか。
それは確かにそうだと思う。
そしてそういう愚かな人間の性というやつを描きたかったんだろうか。
わたしはそもそもこの事件についてほとんど何も知らない状態であったからピンとこなかったのかもしれない。
どうやらこれまでこの事件については、彼らを絶対的な悪として扱ってきたようで。語られるときはいつも権力側からであり、連合赤軍側から描いたということ、それだけで大きな価値があるということのようだ。
監督は、ただもう彼らが一体何を考え、何をしたのか、それを実録として残したいという思いだったんだろう。
それで見た人が色々考えるきっかけになればそれでよいのだろう。
わたしは監督の意図通りというべきか、憑かれたようにこのことばかり考えている。
あの事件のとき、国民は警察対連合赤軍という構図を面白がり、警察をぶちのめせ! という思いでテレビを見ていた人も多かったという。
しかしその後、リンチ事件が明らかになるにつれそうした声は彼らへの批判攻撃に変わり、事件は収束していったそうだ。
彼らはちょうどぴったり、親の世代なのだ。
しかしうちの両親はノンポリもいいところで、母親はあさま山荘事件当時、わたしを妊娠中。テレビもろくに見てもいなかったとか……なんて平和で呑気な妊婦なんだ…信じられない…。
ちょうど祖父(わたしの曽祖父)が亡くなって実家に帰るときだったとか。大阪で号外をもらってびっくりしたとか。そんだけ…!?
だから「団塊の世代」で思想を一括りにすることなんて到底できないよね。
そもそも彼らに思想はあったのか? とも思うし。小難しい言葉を使って革命について話し合うシーンはあったけど、結局彼らが何を考え、何をしたかったのか、明確に伝わってはこなかった。
学生運動だって集会だって、みんながやるからわたしもっていう、そういうノリが濃厚だったに違いない。
(ちなみに父のノンポリぶりも激しい。大学で演説する左翼学生に、君たちの言葉は全然わからないと言ったとか……)
いやー、しかし娘はすっかり興味津々ですよ。遅まきながら火がついてしまった。もう彼らの年齢を大きく超えてしまったけれど。
You Tubeで当時のニュース映像を見たり、ネットで色々調べたりしている。ついつい。
もともと、じつをいえばちょっと憧れみたいなものもあったし。
だけどほんとに単なる憧れだけで何も知らなかった。だから山岳ベース事件の実態は衝撃的だった。
こういう奴が一番危険なわけだけど、あの時代に生まれていたら、デモくらいは参加していただろうな。
でも、もし自分の兄弟や子どもがそっちの世界に行ってしまったら…と想像すると、とても怖い。
彼らは何がしたかったのか。なぜあんなことになったのか。
そして彼らは今。
連合赤軍は今。
知りたいことが次から次へとわいてきて困ってしまう。