忙しくて書けなかったわけではない。
一言で言うなら、心の余裕がなかった。
しかしときどきここをのぞいてはいて、しかも過去の記事を読み返したりしていて(わたしは自分の書いた文章を読み返すのが好き。変かしら)、過去の自分を、なんとまあ優雅な生活、悠長な考え方をしていたのだろう、とまるで別人を見るような目で見ていた。
それは職場を辞めるにいたる考え方にも如実にあらわれていて、読み返すたびに背筋が凍りつくような、鳥肌が立つような、おそろしい思いにかられる。
辞めたかったのは事実だ。
しかし辞めてからどんな恐ろしい現実が待っているか、楽になるのではなく今よりどれだけ大変になるか、ちっともわかっちゃいなかった。
何をするか、考えると恐ろしいから考えない、とりあえず休息だなんて、よくもまあそんな向こう見ずな考え方をしたものだと思う。これからどうやって生きていくのか。こんな重大なことを真剣に考えることなく、思い切り良く飛び出した。それこそが至上命令だといわんばかりに。
今、自分に対して、いったいどうしてしまったのか、どうしてもっと現実的に考えられなかったか、と呆れるような悔しいような気持ちがある。
自分がいったいどれだけのものを失うのか、この先どのようにして生きていくのか…よく考えたつもりだったが、結局最後の最後に決断するときには、よく考えていなかった。
よく考えたら、辞められるわけがない。
はっきり言って、わたしが前に勤めていた職場ほど恵まれた職場は、まずないだろう。色々な意味で。
「面白くない」なんて文句を言っていたわたし。あまりに贅沢だった。世の中の人はどれほど苦労して、厳しい環境のなかで仕事をしているか。何もわかっていなかった。
好きなことを仕事にするというのは大変なこと。だって仕事だからね。好きなことだけで仕事になるわけはないのだ。
だから、前の職場にいたままで、生活するため収入を得、そのお金で好きなことをすればよかったという気持ちがある。そのようにしてあと20年ほど働けばよかったのだと。愚痴を言いながら。
好きなことを仕事にするというのもひとつの考え方だけど、好きなことをするために働く、というのはひとつの考え方。そのほうがよかったなあ、と今は思うのだ。
結局わたしは欲深い人間だから何もかも経験したいのだ。痛い目に遭わないとわからないのだ。阿呆である。
わたしは冒険に出たのだ。恐ろしい冒険に。武器もなく、腕力もないような状態で。無謀過ぎる挑戦だったのだ。冒険がしたいという願望は満たせただろう、十分に。
そして今まだ、冒険の最中。
今日はこの前の記事(↓)に出てくる本のいよいよ最終作業で休日出勤。そもそも数人しかいない職場で2人出勤しているから、別にいつもと変わりない。
前は休日に出ると、電話がならなくておじさんたちもいなくて素敵だわー、とか思っていたけれど(って、休日出勤なんて10年間で1度だけでしたが)。
最後まで気が抜けない。
赤字のチェックをして、素読み。参考資料などの確認、体裁の確認。
冒険の最中で、正直打ちのめされることばかりで、毎日落ち込み気持ちは沈むのだけれど、今日はわたし、やっぱり編集の仕事が好きだなあと思えた。
うれしかったので、久しぶりにここに文章を書こうと思ったのでした。
帰りがけ、これまた下に書いた店にジャズを聴きに行きました。
底冷えのするような、しかし気持ちがきりっとするような冬の星空のもと、駅から自転車を走らせていたら、何かしら少しだけ力がわいてくるような気がした。
寒さを忘れ、しばし空を仰ぎ見て、月と星から力をいただいていた。
1月は好きな月。月と星の美しい季節は、もうそれだけで魅力的。
それにまた1月は、年が改まって、気分も改まるとき。
これからまた、ここにあれこれ綴ってみようか。『ウェブ進化論』を読んだらブログ書くことにまた前向きにな気持ちになってきたってのもある。
皆さんどう思います?
読みたいですか?わたしの綴る文章……なんて聞いてみたりして。
何もかもを失ったわたしは、喪失や不足を糧にして、生きていくしかないんじゃないだろうか。それもひとつの価値として、そのように考えて生きるしかないんじゃないだろうか。
けっして大げさじゃない。ゼロから始めるのだ。
でもそれは、言うは易し、行うは難し。
寂しがりやなわたしは、また来週になれば苦しくて悲しくて寂しくて、惨めで情けなくて、泣くことだろう。
だけど今日は、今日は前向きな想念を抱くことができたので、ここに記しておくことにします。
もっと文章を書こう、とも思いました。もっと言葉を大切にして、思いを込めて。それからもっと音楽を、とも思いました。もっと愛を、とも。