文月遊亀 memo*

日々のこと、音楽や本のこと、心の赴くままに書いています。
簡単な自己紹介はプロフィールにて。

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1月27日(日)横浜散策
中華街→山手あたりを散策。思いっきりデートコースですが、デートじゃないです。
中華街では、「杜記」にて刀削麺を食べる。麺がもちもちしていて普通においしかった。

それから山手散策。洋館を見学して、西洋人たちの優雅な生活ぶりを堪能。

近代文学館に行って、ビデオライブラリーでビデオ見てたらあまりにもあったかくて気持ちよくて眠ってしまった。田辺聖子さんが流暢な関西弁で、谷崎潤一郎の『細雪』の出だしを朗読していたのは覚えているんだけど…。可愛らしい声と表情で、いやあれは素敵だった。『細雪』大好き。こいさーん!
いつも思うけど、田辺聖子さんのお話はそのまま文章にできるほど見事。語彙が豊富で表現力が豊か。小説家だから当たり前かもしれないけど、いつ何時でも見事なコメントをされるので、感動する。聞きほれる。
髪型と服装もポップで自由で。憧れます。

その後、「港の見える丘公園」で港を見て、外人墓地に寄って、「えのき亭」にてお茶して帰りました。


紅茶のシフォンケーキ。ふわふわ。

いっぱいお話もしつつ、いい休日だったなあ。座っておしゃべりもいいけど、歩きながらおしゃべりも、いいね。
皆さんもっと横浜に遊びにいらしてー。
| 食(つくる、食べる。お店も) | 23:14 | comments(0) | trackbacks(0)
1月23日(水)ペルセポリス
イラン映画「ペルセポリス」を観ました。
ロックとユーモアとちょっぴりの反抗心を胸に、というキャッチと、イラストに惹かれて観にいったのですが、反抗心だけでなく、ロックとユーモアもちょっぴりでした(いや、ちょっぴりの反抗心、ってそういう意味じゃないけどさ。ロックとユーモアがもっといっぱいあると思ったんだよね)。

マルジャン・サトラピ監督はわたしの少し年上みたい。この監督自身がモデルの、主人公マルジという一人の女性から見たイランの歴史が描かれています。
それにしてもわたしはイランの歴史を呆れるほどに知らない。そういう意味でとても勉強になる映画。
だけどこれはイランの一般的な女性のお話ではないだろうと思った。マルジはとても裕福な家庭の娘で、イラン革命後、ウィーンに留学する。大半の人はきっともっと貧しくて留学なんてできるわけないので、イランの一般的な女性の生き方としてとらえては見誤るな、と思った。

何しろイラストが素敵だ。下手うま? でもとてもお洒落。
ちなみにわたしマルジの顔が、『自虐の詩』の幸江さんに見えて仕方なかったんだけど(不幸顔?)、そんなふうに感じた人、いないかなあ。
| 映画 | 23:36 | comments(0) | trackbacks(0)
1月21日(月)自分って? 友情って?
わたしは自分のことを、人の気持ちがわかる、いやそれは難しいか、わかろうと努める人間だと思っている。つまりいわゆる共感型。
そしてこれまで周りの人の自分に対する人物評もおおむねそうであった。
また、「よくしゃべる」などといわれたことは一度もない。

10年間、1つの組織に勤めて、わたしに対する客観的な評価は当然ながらある程度定まっており、そのなかで過ごすことはとても安心感があった。気づかなかったけれども。
もちろん皆が皆良い評価を持ってくれていたわけではなかっただろうし、自分で思っている自分と違うふうに見ている人もいただろう。当然ながら。
しかし気心の知れた、自分のことをある程度わかっていてくれている人たちは、確実に、いた。だからそうではない人から納得のいかない評価を受けたときでも、わりに平気で、心の均衡を保っていられた。

しかし新しい場所に身をおいてみると、思いもかけない評価を下されることがあって、そんなとき、わたしは自分の気持ちをどこに持っていったらよいかわからなくなることがある。

共感型、というのは自分で思っているだけではないか、とか、よくしゃべる、とか、そんなふうに言われると、驚いてしまって、わたしという人間をちっとも理解してもらえていないと感じて、傷つくのだ。自分という人間がどこかにいってしまうような気がして、心がざわざわする。自分で自分が誰なのかが、わからなくなってしまう。

しかし冷静に考えてみたら、確かに共感型だなんて自分で思っているだけなのかもしれない。そんなこと断定することはできないかもしれない。
よくしゃべる、というのは、相対的に見たら、確かに今の職場ではよくしゃべるほう…なのかもしれない。いや、朝から晩までほとんどしゃべらず、前の職場に比べれば、わたしとしては全然しゃべっていない、むしろしゃべれず辛い、という感覚なのだが。

うーん、正直、わけがわからなくなるよ。
人と人とがわかりあうには、どうしてもある程度の時間が必要なのかなあと思う。
長い付き合いの人と会うと、自分のことをわかってもらえているし、自分の相手のことをわかっているから、ほっとする。そういう基本的な下地があると、話もしやすい。下地がないと、まず自分をわかってもらうために苦心しなくちゃいけない。

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ただ、長く付き合った人であっても、立場が変わるとその関係を保持できなくなることがある。それは今回、仕事を辞めて初めて知ったのだけど。
ものすごく悲しくて、傷ついて、人間不信に陥りそうになったけど、今では仕方がないと思えるようになった。
きっと本当に縁がある人ならば、また再び仲良くできる日がやってくる。

だから友情って、付き合った年数じゃないんだよね。長ければ長いほど良い付き合い方、深い付き合い方ができるというわけでもない。

たしか渡辺葉さん(椎名誠氏の娘さん)の『ニューヨークで見つけた気持ちのいい生活』だったかと思うんだけど、友だち関係って、雨のしずくみたいに、くっついたり離れたりして、離れっぱなしの場合もあるし、またくっつく場合もある、みたいなことが書いてあって、やたらと納得した記憶がある。

今こそよくわかる。
わたしの状況が変われば、また仲良くできるのかもしれない。変わらなくても、仲良くできるようになるかもしれない。はたまた相手の状況が変わって仲良くできるようになるかもしれない。

いつかまたきっと、縁があればきっと、くっつくよね。
| 思ったり考えたり | 21:39 | comments(2) | trackbacks(0)
1月19日(土)いろいろ思う、考える
忙しくて書けなかったわけではない。
一言で言うなら、心の余裕がなかった。
しかしときどきここをのぞいてはいて、しかも過去の記事を読み返したりしていて(わたしは自分の書いた文章を読み返すのが好き。変かしら)、過去の自分を、なんとまあ優雅な生活、悠長な考え方をしていたのだろう、とまるで別人を見るような目で見ていた。
それは職場を辞めるにいたる考え方にも如実にあらわれていて、読み返すたびに背筋が凍りつくような、鳥肌が立つような、おそろしい思いにかられる。

辞めたかったのは事実だ。
しかし辞めてからどんな恐ろしい現実が待っているか、楽になるのではなく今よりどれだけ大変になるか、ちっともわかっちゃいなかった。
何をするか、考えると恐ろしいから考えない、とりあえず休息だなんて、よくもまあそんな向こう見ずな考え方をしたものだと思う。これからどうやって生きていくのか。こんな重大なことを真剣に考えることなく、思い切り良く飛び出した。それこそが至上命令だといわんばかりに。
今、自分に対して、いったいどうしてしまったのか、どうしてもっと現実的に考えられなかったか、と呆れるような悔しいような気持ちがある。

自分がいったいどれだけのものを失うのか、この先どのようにして生きていくのか…よく考えたつもりだったが、結局最後の最後に決断するときには、よく考えていなかった。

よく考えたら、辞められるわけがない。

はっきり言って、わたしが前に勤めていた職場ほど恵まれた職場は、まずないだろう。色々な意味で。
「面白くない」なんて文句を言っていたわたし。あまりに贅沢だった。世の中の人はどれほど苦労して、厳しい環境のなかで仕事をしているか。何もわかっていなかった。

好きなことを仕事にするというのは大変なこと。だって仕事だからね。好きなことだけで仕事になるわけはないのだ。
だから、前の職場にいたままで、生活するため収入を得、そのお金で好きなことをすればよかったという気持ちがある。そのようにしてあと20年ほど働けばよかったのだと。愚痴を言いながら。

好きなことを仕事にするというのもひとつの考え方だけど、好きなことをするために働く、というのはひとつの考え方。そのほうがよかったなあ、と今は思うのだ。
結局わたしは欲深い人間だから何もかも経験したいのだ。痛い目に遭わないとわからないのだ。阿呆である。

わたしは冒険に出たのだ。恐ろしい冒険に。武器もなく、腕力もないような状態で。無謀過ぎる挑戦だったのだ。冒険がしたいという願望は満たせただろう、十分に。
そして今まだ、冒険の最中。

今日はこの前の記事(↓)に出てくる本のいよいよ最終作業で休日出勤。そもそも数人しかいない職場で2人出勤しているから、別にいつもと変わりない。
前は休日に出ると、電話がならなくておじさんたちもいなくて素敵だわー、とか思っていたけれど(って、休日出勤なんて10年間で1度だけでしたが)。

最後まで気が抜けない。
赤字のチェックをして、素読み。参考資料などの確認、体裁の確認。
冒険の最中で、正直打ちのめされることばかりで、毎日落ち込み気持ちは沈むのだけれど、今日はわたし、やっぱり編集の仕事が好きだなあと思えた。
うれしかったので、久しぶりにここに文章を書こうと思ったのでした。
帰りがけ、これまた下に書いた店にジャズを聴きに行きました。

底冷えのするような、しかし気持ちがきりっとするような冬の星空のもと、駅から自転車を走らせていたら、何かしら少しだけ力がわいてくるような気がした。
寒さを忘れ、しばし空を仰ぎ見て、月と星から力をいただいていた。

1月は好きな月。月と星の美しい季節は、もうそれだけで魅力的。
それにまた1月は、年が改まって、気分も改まるとき。

これからまた、ここにあれこれ綴ってみようか。『ウェブ進化論』を読んだらブログ書くことにまた前向きにな気持ちになってきたってのもある。
皆さんどう思います?
読みたいですか?わたしの綴る文章……なんて聞いてみたりして。

何もかもを失ったわたしは、喪失や不足を糧にして、生きていくしかないんじゃないだろうか。それもひとつの価値として、そのように考えて生きるしかないんじゃないだろうか。
けっして大げさじゃない。ゼロから始めるのだ。

でもそれは、言うは易し、行うは難し。
寂しがりやなわたしは、また来週になれば苦しくて悲しくて寂しくて、惨めで情けなくて、泣くことだろう。

だけど今日は、今日は前向きな想念を抱くことができたので、ここに記しておくことにします。
もっと文章を書こう、とも思いました。もっと言葉を大切にして、思いを込めて。それからもっと音楽を、とも思いました。もっと愛を、とも。
| 思ったり考えたり | 23:37 | comments(5) | trackbacks(0)
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