コザでこれを書いています。
昨日那覇からコザにやってきて、今日はアラハビーチ→美浜・アメリカンビレッジと回ってきました。
ほんとはアラハビーチのあたりのフリーマーケットが目的でしたが、お昼前に行ったらお店がぜんぜんなくて、カフェのお兄ちゃんに聞くと夕方から盛り上がるとのこと。
今日はあきらめて美浜まで歩いてアメリカンなお店をぶらぶら見て回り、コザに戻ってきました。
足が棒です。疲れた。
アメリカンビレッジはアメリカ人がたくさんいて、不思議な場所だった! カップル、家族連れ、男同士…いろいろ、普通に歩いてる。
いやはや本当に日本はアメリカの支配下にいるんだよね、基地が近いってこういうことなんだよね、と実感しました。
それとは別にゆるい看板もいろいろ見つけた。沖縄そばの店「ぷりん」とか。
バスの中で一人で笑ってしまう。
一人旅は気楽に好きなところに行けていいけど不都合なことも多い。
何より感動を共有できないのが辛いよ。
やっぱり旅程長すぎたかなー、無謀だったかなー、とついつい思っては、いやいやいいのだ! 満喫するのだ! と思い直す……の繰り返しになってきた。昨日あたりから(あまり書きたくないんだけど、正直寂しい)。
あと、ああみんな働いているなあ。わたし一人ふらふら遊んでいていいのかなあ、と思ってしまうよ。
これもすぐに必死で打ち消すんだけどね。いやいやわたしも働いてきたじゃないか、そしてこれからも働くんだから、とね。
ううむ。それにしてもいろいろ考えるし葛藤があるよ。
疲れているけど夜はJETというライブハウスに行ってみるつもり。コザに滞在する目的のひとつはこれだから(というかほぼそのためでしかない)。
あと5日間もこの街を拠点に何しよう?
宿はまったくプライバシーがなく、おばぁの家に居候してるみたいなもんだから、だらだらしたりゆっくり読書したりもできなさそうな…(そんな日も作りたい…)。
何しようほんと。どなたか妙案ください!
【追記】
ライブが始まるまで、9時30分くらいまでミッキー食堂というところでカレー食べて時間をつぶしていた。量がすごい。半分しか食べられなかった。
お店のお姉さんたちがすごく元気!! なるほど、元気なおばぁ予備軍だ、と思う。
アメリカ人が連れ立って店にやってきて、食べ物をテイクアウトしていく。なぜか焼きそばが人気。
ネーネーたちは、できあがると「やきそばプリ〜〜ズ!!」と大きな声で言っていた。そ、それは「やきそばお願いします!」って注文するときの言い方なのではないかしらん?
いやいや、そんな細かいことはどうだっていいんです。
お会計するとき、「600円ですね」って確認すると、「いいの?」って。「え? いいんですよね?」。「もう何を召し上がったのか忘れちゃったさ〜」って。
このゆるさです。素晴らしいです。ほんとにほんとに元気な女の人。
JETに出演するのはJETという3ピースのバンド。
音が鳴った瞬間、ウッと思う。こんなかっこいいバンドだったとは…! 演奏能力も高い!
ビートルズも2曲。“Get back”と“Come together”をやってくれた。わたしは六本木で聞いたコピーバンドよりも好きだった。
バンドマンたちは、口を開けば流暢な沖縄弁。このギャップがたまらない。
素晴らしいオキナワンロックを聴いた。勇気を出して行ってよかった。
店を出て歩くと三線が民謡を奏でる音、バリバリなロックなど色々な音楽が聞こえてきて、コザのサタデーナイトはこれからなんだなと思った。
音楽チャンプルーな街だ。一人じゃなかったら、もっとたくさんのライブハウスをはしごしてみたかった。
店は閉まってるし人はいないし、半分死んでいるんじゃないかと思われた街の違う顔、にわかに活気づくところを垣間見た。
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この間NYに行ったということもあって、沖縄におけるアメリカを知りたいという気持ちが強かった。だからコザに1週間滞在することにした。
沖縄とアメリカ。日本とアメリカ。ここにいると、普段頭でわかっているつもりのこの関係が、実感として、日常として肌で感じられる。
実際にどんなふうに両者が触れ合っているのかをこの目で見ることができる。
アメリカ人と沖縄の人はもちろん仲良くやっている面もある。文化がぶつかりあって面白い文化が生まれたという面もある。オキナワンロックだってゴーヤチャンプルーだってそうだ。
だけど飛行機の音はうるさいし、街を闊歩するアメリカ人はちょっとこわい。
戦争のとき、日本軍は沖縄を捨て石にし、ここは唯一の本土決戦となった。
それが今も続いている。奇妙な英語を使って笑顔を振りまく。それは侵略された民ならではの姿。本来はわたし自身の姿。
わたしはそういう国に住んでいる。