●『下流社会 新たな階層集団の出現』三浦展著
日本に階層社会がやってくる、というのがどういうことなのか具体的によくわからなくて読んでみた。
階層社会っていっても、江戸時代の士農工商とかインドのカースト制度みたいなのとは違ってた(当たり前だよ)。自ら進んで下の階層に行くことを求める人が増えるだろう、ってことだった。単に所得が低いだけでなく、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲、つまり総じて人生への意欲が低い。そしてそれはその人の育つ家庭環境に大きく左右される、ということで、そこから階層社会は始まってるとのことだった。
納得する部分少しあり、首をかしげる部分大いにありだった。
たとえば団塊ジュニア世代などが○○系、というふうにして分けられているけど、自分はそのどれにも当てはまらないなあと思ったし。こういう本がベストセラーになるってのは、わかりやすい分析がうけるってことだろうか。
「勝ち組」「負け組」って言葉しかり、小泉首相の「日米関係が良好ならすべてOK」って発言しかり、単純明快な言葉や考え方が横行する世の中ってのは居心地がよくないような気がする。
●『東京奇譚集』村上春樹著
春樹節が炸裂。イメージしていたほど“奇譚”ではなくて、すーっと読めた。しかし考えてみれば内容はかなり“奇譚”なのだ。それを普通に読ませてしまうのが春樹の力だろう。
短篇集だけど、全部読み終わったあとに、それぞれが蜘蛛の糸みたいに絡み合ってひとつの巣を作ってるみたいな、そんな印象を受けた。
音楽でも、よくまとまったアルバムって、そうだよな。
●『悩む力 べてるの家の人びと』斉藤道雄著
わりに悩みがちな人間としては「悩む力」というタイトルに惹かれて読んだ。精神を患うとはどういうことなのか、ということにもとても興味があった。
案の定というか、期待以上に大切なことがたくさん書かれていて、読みながら付箋だらけになってしまった本。
「べてるの家」とは、北海道は浦河という海辺の過疎の町で、精神分裂病(今は統合失調症と言う)など精神を患う人たちが共同生活を営む場。
分裂病になるのは、しばしばまじめで素直で、きちょうめんな人たちなのだそうだ。人との関係性がうまくいかなくなり、自分ともうまくつきあえなくなる。
幻聴が聴こえ、妄想が始まる。
病気は普通治すものだが、ここでは治すものとしてとらえられていない。
従来の精神病治療のように、患者を隔離しない。患者同士、自分の病気のことを語り合う。言葉を非常に大切にしている。
それは、人は人のなかにいて初めて自分ともうまく付き合えるようになるからだ。
従来は、その「幻聴・妄想」、あるいは「苦労すること」、「悩むこと」を取り除くのが「治療」であったが、べてるではそれをしない。苦労すること、悩むことは病気であってもそうでなくても、生きる者すべてに共通することなのだという。それはそうだと思う。
苦労することは、人生を豊かにするために必要なことだという考えから、会社を作ったりもする。そうすると彼らが生き生きしはじめるのだから、人間ってすごいというか面白いというか。
ばい菌のように消し去らなくてはならないものとされていた幻聴や妄想も、豊かなものとしてとらえられる。この発想もすごい。確かに、物語は妄想から始まるものだもんなあ。
人間としての当然の権利―悩む権利―を取り上げないという考え方に、わたしはひどく感動した。
日本における精神病に対する考え方が、少しずつでもいいから、こんなふうに変わっていけばいいのになー。
そして、こころを病む人だけではない。どんな人にとっても、苦しいことの多い人生をどう生きるか、そのヒントがつまった本だと思いました。
○がんばって昇っていくのではなくて、降りていく。
○「そのままでいい」と自分を認める(なかなか難しいことだが)。
○「弱さを絆に」する。
執筆者が取材しながら感じた「安らぎ」は、わたしが寿町で感じたものに近いのかもしれない。弱いからこそ、貧しいからこそ、悩みがあるからこそ、豊かなんだ。
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ぜひみんなに読んでほしい本です。
読みたい人は貸すよ。付箋だらけでよければ! 言ってね。
●『べてるの家の「非」援助論』浦河べてるの家 著
上の『悩む力』を読んだ後、この本を読んだ。ほとんどはソーシャルワーカーの向谷地(むかいやち)さんの書いた文章で構成されているけど、『悩む力』で出てきた人たちが、自分の病気について文章を書いたりしているので(しかも写真入りで登場)、ああ、こんな人だったんだ! って、例えはちょっと変だけど、まるでネットだけで知ってた人と会えたみたいな気分。
『悩む力』で「幻聴・妄想」を排除しない、って書いたけど、排除しないどころじゃない。「幻聴」を「幻聴さん」と愛着を込めて呼ぶ。それどころか「幻聴大会」なる催しものを開き、「最優秀新人賞」をあげちゃったりするのだ。なんてユニークな考え方!
人間はもともと弱いものなのだ。わたしだって弱い。よくそう思う。
だけどそれはいけないことじゃないんだそうだ。弱さはひとつの価値だという価値観。弱いから、だれかが手伝ってくれて絆が生まれ、あたたかさが生まれる。
幻聴さんが700人もいる人とか、何かをするときには幻聴さんに相談する(自立した幻聴さん)とか、これを読めば、とにかくわたしたちの抱いている精神病、援助しなくてはいけない精神病、という考え方がガラガラと崩れていくはずです。手書き文字とイラスト(マンガ)のページもあって、ほんとに面白い!! ですよ。
●『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』リリー・フランキー著
勘弁してくれ、ってくらい泣かされた。
2日間、目を腫らして出勤した。
ひたすらに子のことを想うオカンと、オカンがいなくなる日を、「宇宙人の襲来よりも、地球最後の日よりも恐れていた」ボクの物語。
オカンがいなくなるのが怖いのは、わたしもそうだ。
わたしの母もそうだった。去年祖母が余命を宣告されたとき、「お母さんがこの世からいなくなるなんて、なんて恐ろしいことやろう」と言って泣いていた母。祖母のことが、世界で一番好きだった母。
そのことが思い出されるのと、自分自身の母親への気持ちもだぶり、涙で続きが読めなくなったりしながらも、一気に読んだ。
どの家族も同じなんだなと思った。
リリーさんのオカンは祖母より一回り年下だけど、九州弁と「スキルス性の胃がん」というのも祖母を連想させてわたしの涙量を倍増させたかもしれない。
読み終わった翌日、母に「目が腫れてない? 昨日泣ける本を読んで寝たから」と言うと、「そんな本読んだら悲しくなるよ。寝る前に読みなさんな」と心配そうな顔をした。
母親というはちょっとしたことですぐに子どもの心配をし、死ぬまで子を想うものなのだろう。