文月遊亀 memo*

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11月18日(日)『天のしずく 辰巳芳子 いのちのスープ』



天のしずく 辰巳芳子 いのちのスープ』を観てきました。
じつに素晴らしい映画だった。期待以上でした。

最初から最後まで泣きっぱなし。恥ずかしながら…。
どうして涙が出るのかうまく説明できない。

辰巳芳子さんの食材に向かう姿勢が真摯だから、
その手仕事が美しいから、含蓄のある言葉が心を打つから、
料理が厳かな行為であることが伝わってくるから、
自然の映像が美しいから、子どもたちがかわいいから……
どれもその通りなのだけど、それだけでは表しきれない。

辰巳さんの著書『味覚日乗』を読み返し、藤田千恵子さんによる「解説」に、はたと膝を打つ。
「辰巳先生は、料理研究家と呼ばれる、しかし、愛情について綴る随筆家なのである。」

「辰巳先生の言葉が私たちの心にまで届くのは、『心を手足に添わせ』日々の仕事を続けてきた人ならではの『実感』から発せられた言葉だからだろう。そして、その言葉の根底には常に、『愛されてきた者としての記憶』が脈々と流れて、それが私たちの心を打つのである。」

そうだ、わたしが涙したのも、きっとそのせいだった。
自分の愛されてきた者としての記憶も呼び起こされるからでもあったと思う(にしても泣きすぎだが)。

辰巳芳子さんは、父の最期を看取った「いのちのスープ」が全国で多くの人に飲まれ、近年静かなブームになりましたが、
わたしには幼少のころより親しみ深い方。
お母さまの料理家・辰巳浜子さんの『娘に伝える私の味』や、
芳子さんの『手塩にかけたわたしの料理 −辰巳芳子が伝える母の味』等の著作が家にあったし、
人となりについても、母からよく聞いていたので(主にお母さまの浜子さんについて)。
わたしは自ら、上記、『味覚日乗』など著作物もいくつか読んでた。

ただ、映画は視覚的にもっとたくさんの情報を伝えてくれる。
丁寧な手仕事の実際、話される厳しくも優しい言葉の数々(ユーモアに溢れてもいる)、
凛とした立ち居振る舞い、上品でお洒落なお召し物まで。映像ってすごい。

こんな手をかけた料理は、余裕のある主婦にしかできない、そんな時間はない、という声もあるかもしれない。いや、きっとあるんだろうな。
でも、映画の中にあった、
・料理の後片付けができないような子どもをつくってはいけない
・なるべく自国の作物、旬のものを使うようにする
そういうことは誰にでも、心がけ次第で可能だと思うのです。

また、けんちん汁を作るときに、「野菜が嫌がらないような混ぜ方」を心がけるように、
というお話もあって、これを面白いことに、体の洗い方に例えられる。
小さいころお風呂で体を洗ってもらうときに何人かの大人が代わる代わる洗ってくれるのだけど、
「ああ、この人に洗ってもらうのは嫌だな」という人もいたのだと。
そういう、野菜が嫌がるような混ぜ方をしてはいけない、とおっしゃる。

すごくよくわかるなぁ、と思った。
つまり相手の気持ちになって考える、ということ。
人と人との間で大事なことは、料理においても大事だということ。

こんなふうに、自分なりに小さなヒントが得られればいいのかな、と思う。
わたしなんか、さっそく翌日に野菜を優しく優しく混ぜてしまったよ(笑)。

映画は医療、ことに終末期医療にも話が及ぶ。
辰巳さんのスープを取り入れたいと、「スープ教室」に現役のドクターが学びに来る。
海のものや山のものの旨みが凝縮された、滋味にあふれる食べ物。おつゆ、スープ。
体の自由が利かなくなる人生の最期においてものどを通る、まことに優しい食べ物。玄米と梅干のスープを一口飲んで「うまい!」と口にする患者さん。

最後に、辰巳さんの言葉より。

「海、山、畑の恵みを渾然一体化し、最も吸収しやすい状態にした食べ物、おつゆ。
この言葉の表現には、天の露のイメージがありありと見える。
露を受け、生き返る地上のものたちと、人々が露をいただき、
息づいた瞬間を重ね、思わず…おつゆ。
日本人ならではの愛の発露ではないか。」

「昨今のうたい文句『簡単即席』に人間が生命を全うしうる真実があるでしょうか。食ということは、あまりにも当たり前なことですので、ついに日常茶飯の扱いになります。でも、本当を申しますと日常茶飯ほど、これなくしてはやれない、生きていかれないことが多いのです。料理は、本当に食の一端でございますが、ですけれどもその小さな一端にありながら、生きていく全体に対して一つの影響を及ぼしてまいります。食べごこちを創っていくということは、最も基本的な自由の行使。そして料理を作る事は、自然を掌中で扱うことなのです。それは人間にのみ許された厳粛な行為だと思います。」


公開にあたっての言葉より。

「愛することは 生きること。
それゆえ 愛といのちは同義であり、一つと考えます。

この愛の本意はどこにあるのでしょう。
おそらく、それは 神仏、人、もの、ものごとの上に
善きことを願う志向にあるのではないかと思います。

ですから、すべての「在る」ということが
この一点に収斂されることを 願い求めます。

そのときを待ち望みながら、今の世に応える命題が
映像という一つの形になることを、望んでおります。

映像は風土と人、人と人、ものと人、ものごとと人が
描かれる場ではないかと、思います。

生きることは、愛を貫くこと。
貫いた方、貫こうとする方々
その姿に、希望は宿っております。

ごらんいただきとうございます。

二十三年 こぶしの頃  辰巳 芳子」

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