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アオキ・サダハルさんのお菓子をいただきました。
この方、雨宮塔子さんのご主人ですよね。
「ショコロン」といって、マカロンをチョコレートでコーティングしたもの。ポップでカラフルだー。
赤いのをかじる。
こ、こ、これは!
おいしいっ!
フランボワーズ(ラズベリー)の味が口いっぱいに広がります。
中のジャムは酸っぱくて種がプチプチ。ビターなチョコレートとのハーモニーが最高。
上のドット柄の薄い板みたいなのも、一緒に食べられます。
あまりのおいしさに、一瞬、夢の世界にトリップ。
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4年間の執筆のお礼、ということで、編集担当の後輩女子とご飯を食べて、
ミッドタウンで購入したというこんなお菓子をいただいて。
きちんとした身なり、社交的な話し方、身振り、笑顔、
職員同士の交流が垣間見られる楽しげな話題…
すべてにおいて、今の自分がおかれている環境との違い、
−−あまりにも大きな違い−−を、感じずにはいられなかった。
わかってはいたけれど、改めて。
それは、かつてわたしがいた世界。
コラムの連載が終わってしまった。
わたしのプライドを保つ唯一のよすががなくなった。
プライドを保つにはどうしたらいいんだろう。
書けたー。コラムが書けたー。ああよかった今月も無事に…
クリスマスアルバムを3枚紹介したのです。
そのためクリスマスソング聴きまくりで、10月から部屋の中も頭の中もクリスマスムード全開というおかしなことになっていました。
そのうち一枚は、シンガーズ・アンリミテッドというコーラスグループ(1967年結成)の『クリスマス』(1971年)というアルバム。
先日、新宿のタワレコに立ち寄るも輸入盤しかなくて、ほかのタワレコを調べてもらうと渋谷にあるとのことで取りおきをお願いし、その足で来訪という経緯をたどって購入しました。何せ急いでいたので。
男性3人、女性1人という編成で(珍しいですね)、多重録音により実際より複雑なハーモニーを生み出しています。
楽器が入っている編成のアルバムもあるけど、このアルバムはアカペラです。
うーん、男の人の低い声は良いですね。全体が締まるし。
紅一点の女性の声もとってもいい。
この人たち「ジャズコーラス」の人らしいのだけど、これは全然ジャズじゃない。リズムもハーモニーも。テンションコードの音なんかは一つも入ってない、ごく正統派のハモリ。
美しい。「きよしこの夜」では思わず涙が出ました。
素晴らしい。素晴らしいですねコーラスというのはまったく。
※残りの2枚については、一応発行前なので、自粛。
また来月紹介します。
ああ、ほっとしたのもつかの間…またコラムの締め切りがやってくる。
何を書こうか…ネタを考えるのがけっこうしんどい。ネタが決まれば半分以上できたも同然(は言いすぎか)。
誰かネタくださーい。次は12月号!
11月号は大好きな絵本が映画化(しかも3D化)するっていうんで楽しみに試写を観に行ったのだけど、原作の簡潔な線と余白が損なわれていて、登場する動物たちがそのまんまボンっと立体化されていて、やたらと効果音が入っていたりして、がっかりしてしまった。
あの侘び寂びが良いのに…
でもこれから絵本が電子書籍化していくと、こんな作品がたくさん生まれるのかもしれないな(これは映画ですが)。
表現は常に新しくなるものだけど、必ずしも刺激ばかりが強いものが子どもの感性をはぐくむわけではない…そのことを、大人は、作り手は、忘れちゃいけないんじゃないか。
てなわけでこの作品は取り上げないことにして、急遽このアルバムを紹介しました。
8月に出たブライアン・ウイルソンの新作!
『Brian Wilson reimagines George Gershwin』[import,From US]
Brian Wilson(Walt Disney Records)
いやー、これめちゃくちゃいいアルバムです。
ガーシュインの曲をカバーしているのだけど、どの曲もしっかりブライアンの曲になっている。
未完成曲の「The Like in I Love You」「Nothing But Love」素晴らしい。
スワンダフルは6拍子で、 ボサノバっぽいけどボサノバのリズムではないアレンジ。
インスト曲の「I Got Plenty o’Nuttin’」も、ペットサウンズ・スマイル的なブライアンな世界。
ロックンロール仕立ての「I Got Rhythm」もいい。
てか、全曲いい。
アメリカの良質なポップスが天才から天才へと受け継がれていく…これは感動的です。
そしてジャケットもいい。
なのにディズニーレコードより、日本での発売が未定なので画像の掲載は不可とのことで、今回のコラムで載せられなかったのだ。
悔しいのでここで載せました。素敵でしょ。
で、問題は12月号のネタであります。
ううーむ。
ずっと無視し続けていた奥さんが、朝、「社長に言われたから、引継ぎの話を聞こうか」と、
辞意を伝えてから初めて、しぶしぶ…といった様子で話しかけてきた。
直属の上司が、編集責任者が……。
あり得ません。
で、終始ふてくされたような感じ悪い態度。
最後、冷たく、いつもの気取った感じで、
「急に決めたの?」
と聞いてきた。
心がヒヤッとする。
「最初に教えるべきことは教えてもらえないと、あとから大変なことになる。今回の事件が起きたように。聞かなければ答えないというスタイルでは困りますよ」
ほかに言いたいことは山のようにあったけど、とっさに言うと、
「でも本になったじゃない」
何だその言い方は!
「本にした」んじゃないか、わたしが!
「綱渡りですよ! 運が良かったのとがんばったのとで期日にも間に合ったけど、事故が起こってとんでもないことになった可能性はすごく高かったですよ!」
と言うと、もう聞きたくないという様子で、
「はいはい」
だって。
頭に血がのぼりました。
人が心底苦しみ、涙を流し、このせいで辞めるとまで言っているのに。
これまでずっと黙って耐えてきて、やっと最後に言っているのに、
「はいはい」と流してシャットアウトするとは!
しかも、最後に、
「必要なことを聞くというのも能力の一つだからね」
と言い放った。
ムッカー!!
冷静に考えれば自分は悪くないということを主張するための「売り言葉に買い言葉」みたいなものなのだろうだけど、相当カチンときました。
聞いたよ!
聞くと嫌そうだから、すごく遠慮したり気を遣ったりしながら、でも何とか効率的に進めるべく、果敢に質問したよ!
だけど細かい表記の統一や色々な決定事項、二人だけで決めて伝えなければ、
わかるわけないでしょう!
参考にすべき資料だって、聞いたよ?
でも、教えてもらった資料以外に、じつはたくさん参考になるものが棚にあったじゃない。
意地悪なのか何なのか、わたしには教えず、自分たちはそれを使っていたじゃない。
そういう資料をわたしがどれだけ求めていたか。どんなに役に立ったか。
校了数日前に教えられたって、遅いんですよ!
とっさのことに、うまく言い返せなくて、
「何もわからない状態では、何を聞けばいいかもわからないですよ」とだけ言ったら、
「はいはい」
って、シャットアウトして、なんともう席を立っている!
そのあとは、自分の席に戻って、お得意の、無視。
腸が煮えくり返り、涙が出そうでした。
自分は悪くない、相手が悪いというこの徹底ぶりはどうでしょうか。
そのためには論理さえ捻じ曲げる、という。
ほんとに、最後の日にこんなにも嫌な気分でさよならするなんて、あり得ないことでした。
結局わたしは何一つ評価されなかったばかりか、労をねぎらう言葉すらかけてもらえなかった。
最後だからと思ってお菓子を買っていったのだけど、顔色一つ変えず、冷ややかに「ありがと」だけ。
「ありがとう」に聞こえません。「そんなもん」と発したのと同じです。
発せられた言葉って、気持ちがこもっていないと言葉の意味通り受け取れないものなんだね。
初めて知った。
これまで3人辞めていく人を見てきたけど、社交辞令で、
「また遊びに来なさいよ!」
と言っていたと思う。わたしには、それもなかった。
本当に辛い仕打ち、辛い経験でした。
何も悪いことをしていないのに、こんなふうにお別れしなくちゃいけなかったことは、
わたしには、とてもとても悲しかったです。
ハローワークから電話がかかってくる(昨日あたりから)。
ここは絶対に入っちゃダメ! 応募者の皆さまに、教えてあげたい。
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昨日は念願の「餃子の会」開催。蒲田の「金春」へ。
焼餃子も、水餃子も、蒸餃子も、本当においしかった。
エビチリも脂っこくなくて良いお味でした。
前職の先輩たちと行ったのだ。
辞めてから、どうしてるかなぁ? とよく思っていたんだよ。
でも、本当に、全然変わらなくて、元気そうで良かった。
いやぁ、ほんっと、まんまだね! なんかホッとしたよ。
うえーん、うれしい。これが普通だ。そうだ、わたしこういう中にいた!
でも、本当は、本当はね…。
本当は、天国から地獄に行っちゃったんですわたし…。
もちろん言えなかった。理解不能だろうし、場が白けちゃう、とも思って。
でも、あんなにひどい人たちの中にいても、変わらないでいられたということを証明してもらったような感じがして、それもうれしかったな。
こんな中で、よく自分を保ったね。えらいじゃんわたし!
(いつもクレーのことを考えてた。ナチスの迫害にあいながらも自分の絵を描き続けたクレー。あと『夜と霧』。あ、これもナチスだ…。そのくらい精神的重荷、理不尽さの度合いがすごかったんだ。)
それにしても、10年間同じ場所で時間を過ごしたというのは偉大。
職場の人間関係、あの近辺のお店や仕事・労組での出来事、あんなことやこんなこと……ツーカーで分かり合える。
じつはじっくり膝をつき合わせてお話をしたことはない先輩なのに。
それなのに家族のように会話がスムーズなところが、すごい。
同窓会をもっと濃くした感じかなあ。やっぱり土壌が同じなのはいい。心がほぐれる。
すごく楽しかった。
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わたしは間違っていない。わたしの怒りや空しさ、悲しさは当然だ。
いったいなぜ? と理不尽に思うことも。何考えてんだ? 馬鹿じゃないか? 頭おかしいんじゃないか? 人間じゃないんじゃないか? と思うことも。
ついつい、言葉が悪くなる。ごめんなさい。
彼らとは、絶対にわかりあえない。
たぶんだれともわかりあう気がないのだろう。なぜだかはわからないけど、そうとしか思えない。
わたしには、いくら考えても理解不能だった。
不思議でならなくて、なぜなんだろうと考えてしまうのだけど、本当は考えるだけ無駄だと思う。
そっと離れるしか、手はないのだった。
やる気があってがんばりたい社員をがんばらせることができない、きちんと向き合って効率的に、気持ちよく仕事を進めていくことができない、かわいそうな人たち。
人を受け入れ、心を開き、交流することができない人たち。
浅はかな、人として大切なものがすっぽり欠落した人たち。
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コメントやメールをくれる優しいみんなへ。
本当にありがとう。泣きながら読んでいます。
わたしを元のわたしに、通常の世界に引き戻してくれて、ありがとう。
それがなければ頭がおかしくなっちゃってた。
共感や励ましを、心の大きな支えとして、生きています。
それだけを支えにして生きている、ともいえる。
本当に、心から、ありがとう。
わたしは2年半、一生懸命いい本を作ろうと思ってがんばってきた。
前にも書いたように、何も教えてもらえない理不尽な環境により、がんばり方がわからないというか、進むべき道がわからず苦労の連続だったけど、そんななか自分なりにがんばったと思う。
一つ聞くのも非常に困難な環境にあって、果敢に質問もしたし、何とかまっとうな仕事をしようとして色んな面でかなり努力してきた。
ツンツンした人たちの中にあって、少しでも場を和ませる努力もした。
自分で言うのもなんだけど、執筆者まで紹介したりして、かなり貢献したはず。
どれだけの時間と労力と、がんばる気持ちとを、ここの仕事に捧げただろう。睡眠・飲食の時間を削った時期もあった。
それなのに。
昨日はわたしの悪口飲み会が行われたらしい。
悲しすぎて、気持ちが真っ暗。
こんな経験は初めて。
恐ろしい言葉で彼らをなじることもできるだろう。
だけど、彼らと同じ土俵に立ってはいけない。
ここから何を学べばいいのか。難しいな。
でもとにかく、辞めるのは正解だ。そう確信させてもらっている。
今日は朝から社長と退職日を決めた。
開口一番、まずは引き継ぎ書を作れ、と。
それができればもう来なくていい、と。
そこから有休の残りを足して、うまった先が「退職日」だ、と。
驚いた。
違うでしょう。
まず「退職日」を決める→それから有休が何日あるからここまで出社、と決める。
順序が逆。
ともあれ9月末日を退職日とし、有休や夏休みを差し引いていくと、今月25日(火)まで出社、となった。
あと一週間!?
驚いてしまう。そ、それでいいのか?
「もう来るのも嫌でしょう」って、来るなと言わんばかり。
仮にも2年半、社員として働いてきた人間を、昨日の今日ではいおさらば、とはいかに。
放ったらかしでやらされた仕事の引き継ぎ書なんて、どうすりゃいいのか、これまた面食らう。
何をやるにも驚かされる職場だ。
何より驚いているのは、編集責任者である社長の奥さんが何も話しかけてこないこと。
辞めることに関して、一言も話していない。
これまで2人辞めていく人を見ているけど、2人とも話し合いの場が設けられていたけどな。
振り返って背中を見ながら考える。
引き留める価値もない。話し合う余地もない。
嫌ならバイバイ、勝手に辞めていきな。わたしはあんたなんか大嫌い。口もききたくない。
そういうことか? 背中はそう語っている? そう解釈するしかないんですが。
しかし、それは、なぜ? 身に覚えがないよ。わたしは死に物狂いでがんばってきた。
それだけ。
わたしは悲しいよ。
これはいじめ以外の何ものでもない。
あんなに一生懸命仕事して、完全無視のなか追い出されるように辞めるとは。
「辞めるって、うちの仕事はどうだった? 編集者になりたいって言ってたあの気持ちはどうなった? これからどうするの? 仕事は探してるの?」
こういうこと、聞くのが普通じゃないか?
ひどすぎて、またも思考停止。だって、何が起こっているのかわからない。
わたしはそんなにも人に嫌われたこと、これまでに、ないよ。
ここはどこ? わたしはだれ?
ここにいると、わたしは歪んでしまう。
今日はわたし以外のメンツで飲み会。
だれかが辞めるとき恒例の。
しかし、そういうこと、昨日の今日で、やるか?普通。
社長がいかにうちの会社が素晴らしいか、辞めて行く奴がどれほどレベルが低いか、
一方的に話し続ける。相手の頭にたたき込むように。
これを聞かされるのは非常に苦痛なのだ。
仕事探しは大変だけど、とりあえず脱獄は正解だったんだな。
お盆明けの月曜日。
社長から開口一番、
「11時30分から新刊の打ち合わせをしたいんだけど、いい?」
という言葉。
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休みの間、考えていた。
もう辞めようって。また同じことになる。もうここで本作りはしたくない。
今すぐ仕事を見つけるのは難しいから、「つなぎ」で初派遣に挑戦しよう。そう考えていた。
出版系の仕事を紹介している会社に登録したら、先週末、すぐに紹介があり。
しかし派遣はちょっと困るなぁ…と思ってお断りメールを書いていた。
しかし、送信する前に、たまたま弟と話をするうちに、
・とにかく辞めることが一番であること、
・無職は避けたいこと、
……となれば、これは、渡りに舟なのでは? と自分でも驚くほど心のベクトルが逆に動いた。
それに、派遣ならば、
・就職活動がしやすい、
・辞めるときも簡単そう、
という更なるメリットも見出した。
そうだ、今脱獄するにはこれしかない! 一番の目的は脱獄なのだっ!
派遣で働きながら仕事を探そう! そうだそうしよう!!
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辞めようと思っていながら、新企画の打ち合わせをするのは非常に辛い。
打ち合わせ後、勇気を出して申し出た。
「非常に残念だけど」
という言葉は出たけれど、随分あっさりと、
「わかりました」
という言葉も出た。普通もう少し引き留めないか?
わたしのがんばりも、人物に対する評価も何もないのだ。
まあそうだろうと思ったけどね。
でも、何という前職との違いよ……。
結局わたしは一体どう思われていたのかわからない。使い捨てってことなんだろな。
しかも直接の上司(も何もあったもんじゃないが…)である社長の奥さん(編集責任者)は、社長との話し合い(たった5分だけど)が聞こえているはずなのに、何も言ってこなかった。一言も。
そういう冷たい人ですよ。
知ってるけど、やっぱり異常。
いや〜〜、ひどいもんだ。
先週金曜日、半年間かかわってきた450頁の本が、校了。
大変という言葉では表現できない状態だった。心身ともに相当に辛かった。
7月に入ってからは土日もなかった。
ここでは何の本を作ってもそうなのだけど、必ず問題が起こる。
土台作りが甘いのだ。
人に対して信じられないくらい不親切、不誠実な人間性が、仕事にあらわれている。
しかし、致命的なトラブルが起きても、サポートしてくれないのが恐ろしいところ。
そんな馬鹿な…と思うが、なんとわたしの責任にされてしまう。
怖くて怖くてたまらない。
わたしはずっとずっと仲間はずれだった。透明人間のようだった。
一緒に本を作っているのに、統一事項や決定事項が、わたしにだけ告げられない。
耳をそばだて、二人が話しあっている内容を聞いて、そうなのか!と驚いてやり直し。
二度手間が当たり前・・・・・・って、こんな非効率なことがあるだろうか。
それでいて校了数日前、ギリギリになっていきなりこちらのゲラを読み始め、「この段階でこれはない! 読んでおかしいって思わないか?」と怒られたり。
理不尽だ。
あり得ない。
ここにいるとわたしは思考回路が正常に働かなくなる。わけがわからない。
体が震え、涙が出た。
上記怒られたゲラは、監修者も版元もOKしているものなのだ。
わたしには今一つ内容もわからない。
なぜわたしだけが気付けなくてはならない? なぜすべての責任を負わなくてはならない?
あまりのことに、そう伝えた。今までおとなしく聞いてきたので、こんなことを言ったのは初めてだった。
また涙が出た。
こんな恐ろしいところ・・・・・・奴隷小屋みたい。わたしとしてはプライドが保てないという問題もある。これはわたしの場合どこにいっても起こりえることだけれど。
とんでもないトラブルが起き、そのためにただでさえ大変なのが2倍にも3倍にも大変になり、しかし発行を遅らせることはできず、どう考えても無理だよねえと言い合っていた日程で、しかも一日早く上げた。
寝食の時間を削ってがんばった。
それでも一言も褒められなかった。一言も。
褒められるどころか、上記のように、怒られた。
何も迷うことはない。さっさと辞めるべきだと思う。
わたしは、がんばりたいんだよ。いい加減にやりたいんじゃない。
がんばりたいのに正当にがんばることができなくて、がんばりが足りないと怒られるなんて、あんまりだ。
自分が壊れそうなほど身を置くのが嫌な場所なのに、辞めると言い出せないのは無職が怖いから。
落ち込まないようにしよう。
考えすぎないようにしよう。
どんな状態になっても、わたしはわたし。
明るく豊かな心を保っていよう。
大丈夫、どうにか生きていける。
わたしには友だちや仲間がいるから。優しいみんなはわたしにとって、宝です。
いつもありがとう。
仕事がどっさりで、無我夢中のうちに日々が過ぎていきます。
お昼は仕事の手を休め、持参したお弁当食べて、そのまま休まずすぐさま取り組んでます。それでも、とても終えることができませぬ。
けっして仕事が遅いほうではないはずなので、明らかに量が多すぎるのですね。
夢中になると、お茶を入れに立ち上がるのもトイレに行く時間も惜しくなる(ついつい我慢しちゃう)。が、そうしてパソコンや原稿にかじりついていると肩や腰の調子がおかしくなる。
なので、たまに立ち上がったときには、なるべく首くらいは回そうと思ってはいるのですが、その時間すら惜しんでしまう…。
とにかく頭使って考えるには、時間が必要なのです。
どうしても食事の時間、遊ぶ時間を削らざるを得ない。それを大事にすることが豊かな生活だと思っているわたしにとって、これはほんとは嫌なことです。ご飯くらいゆっくり食べたい。
けど、まあこういう日々があっても良いではないか、と考えるようにしています。食事や遊びが大事なことだとよく知っているのだから。だからわたしは大丈夫だと。
今は、電車での読書が唯一の娯楽です。しばしトリップできる時間。
編集とは、かように大変な仕事であります。
表記の統一や文章の直しは得意とするところだけど、ページの割付、図表の指定など体裁面で、時間がかかって非常に手間がかかります。
後者はこれまでやったことのない仕事だったからなー……なので、それでも2年前に比べれば格段にできるようになっているはず。まーほんと、七面倒くさい職人仕事ですね。
内容面では、わたし自身がその分野に明るくなく、執筆者も専門というわけではないライターさんの場合、果たしてこれで良いのか否か、という不安がつきまとうのが辛い。
けど、今回は初めて(?)わたしもかなり詳しい分野で、しかも専門の方の原稿が一部あり、あ〜、気持ちの上でも実務面でもすごく楽だ〜、と思いながら仕事しました(だって、何が大切なのかがわかる! 制度面も、歴史的な流れもわかる!)。
こういうのは幸せです。編集って本来こうでなきゃねえ! と思いました(思えば前はこんなのばかりで、あり得ないほど少ないページ数で、面倒な指定もゼロ。つまりほとんど何もしなくて良いのだから、楽でないわけないのだった)。
でも編プロ編集者はそんな専門知識を身につけられる環境にないし、どんな内容でも受注しなきゃやっていけないわけで、にわか勉強で即座に内容、概要を理解して要点をまとめる力が求められる。
一般の人と同じレベルの情報(テレビやネット、雑誌、書籍、新聞)しかなくて、人脈もないのだから、本当の意味での知識を身につけることは不可能だと思うけどね。
まったくもって知的ヤクザな仕事です。
あと本を作るというのは、当たり前だけど他社の本と違う内容にしなくてはならないということに神経と労力を使います。
商魂たくましくというか、発想が貧困というか、出版界というのは、同じような本を出していずこも競合しながら生きているのですよね。なんだか情けないような馬鹿馬鹿しいような感じですが。
それで、ついつい執筆者の方も引きずられるのですね。わたし自身もよく知らない分野のライター仕事をする場合はいつもその葛藤のなかで書きます。無理だよわたしが書くのは、と思うことも多い。
昨日は、丸写しに近いような原稿が来て、しかしその方も書き直せといわれても自分の知識ではこれくらいしかできないと開き直られて、それはないだろうと思ったけれど、何とか一部わたしがお手伝いして書き直すということで話がまとまった。
ほんとは原稿書きしてる暇はない。けど何とかしようと思う。
こんな大変な日々だけど、前回よりはいくつかの面で楽だと感じてます…。
前回は、まったくわからない内容の本を、一人っきりで作らねばならなかったから。
しかもこんな内容じゃ売れない! と、これまたこの分野に明るくない版元担当者に怒られつつ、執筆者の看護師さんたちにも忙しいのだから対応できないと怒られつつ……で八方塞がりのなか、短い期間で作らねばならなかったから。
これはなかなかにすごい状況でした。不安で、頭痛と吐き気の日々でした。
でも、わたしは逆に燃えたのです。
何が何でも、絶対に良い本を作ってやろうと思った。
何とか無事出版にこぎつけ、重版がかかったようです。うれしいことです。
今回は450ページ(!)と非常にボリュームのある仕事です。
でも、前職でお世話になった方々が2名も執筆者として協力してくださっている!
わたしはそれだけで心が強くなれる。電話やメールで連絡とれるだけで、それだけでうれしい。この方々ががんばって書いてくださっているのだから、と思うと、力が出てきます。わたしも倒れるまでがんばる! なんだこのくらい! というど根性精神がわいてきます。
終わらないので三連休も仕事します。明日は休みますが。
なんとかこなしてみせます。がんばるぞ。