文月遊亀 memo*

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9月1日(土)記憶するということ

8月30日の記事の続きです。

戦争を記憶していくにはどうしたらいいのか。

まず大事なのは歴史教育。
同じ敗戦国でも、日本とドイツの戦後処理、歴史教育は随分違うとよく言われる。
『原発とヒロシマ――「原子力平和利用」の真相』(岩波ブックレット)では
過去と厳しく向き合うドイツの歴史教育に言及されていて、
わたしたち日本人のあり方についてこう記される。

過去から深く学んだ重厚な歴史観をもたない国民は、現在の問題に対する分析力の点でも、自分たちのあるべき未来像を描く展望力の点でも、きわめて貧困にならざるをえない。日本の原発問題や沖縄米軍基地問題への対処の仕方は、自分たちの歴史観、歴史教育のあり方と根源的には深くつながっていることを、わたしたちはここで立ち止まってしっかりと熟考してみるべきではないか。

元ドイツ連邦共和国大統領ヴァイツゼッカー氏は、
「過去に目を閉ざす者は、未来に対しても盲目になります」と言いました。
上記引用と同じことを言ってますよね。けだし名言。

日本の歴史教育における態度が、今の原発問題や沖縄米軍基地問題、
オスプレイの問題と深く結びついているのですね。

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今、近隣諸国との領土問題があっちやこっちで起こっている。
これもまた、わたしたちが歴史と向き合うことを怠ってきたせいではないのかなと思える。

池澤夏樹さんの『異国の客』で読んだ、
ヨーロッパの記憶装置というのがとても印象的だった。

同じくドイツのレナータ・シュティーとフリーダー・シュノックの案では提供された土地をバスの発着場にする。「バスの目的地は、ドイツ国内およびヨーロッパ各地に点在しているかつての収容所跡で、いずれもノンストップの直行便でスケジュールにきちんとしたがって運行される。バスは鮮やかな赤で塗装され、その前面にはアウシュヴィッツやトレブリンカといった地名が行き先表示として大きく提示される。その禍々しい固有名を戴いたまま、合計80台近くの真赤なバスがベルリンの街中を行き来するのだ」。
赤いバスのメッセージは要するに、「忘れるな!」ということだ。見るたびに思い出せということだ。見る機会を増やすために赤い色に塗って毎日運行する。忘れてはいけないことがあり、そのために記念碑が作られる。最も能動的な記念碑として、赤いバスが普通のバスに混じって動きまわる。
誰か日本で「従軍慰安婦」の記念碑の過激な案を提供しないだろうか。(P145〜146)

記憶するための工夫が街に散りばめられているとは!
あぁ、ドイツではこんなふうに知恵を絞り、過去を忘れまいとしているのか…。驚いた。

広島、長崎、福島。
まさに「忘れるな!」である。

歴史教育はもちろん、街に仕掛ける記憶装置など、
あの手この手で、何とかして忘れないようにしなくちゃいけないんだと思う。

| 原発 | 18:41 | comments(1) | trackbacks(0)
8月30日(木)原爆と原発
この夏、原爆に関する作品を2つ、読みました。

■原 民喜『夏の花』     ■井伏鱒二『黒い雨』
  

どちらも有名だけど、恥ずかしながら未読でした。

楽しい本を読むこともできる中でこの本を手に取り、
原爆投下後の世界に入っていくのは気が滅入ることで、
読みながら涙が出て、本当に辛いことだった。

両者に共通するのは、投下直後の主人公たちの、これは、いくらなんでも、
起こってはならないことが起こったのではないかという思い。
顔が2倍に膨れ上がった人、火傷で皮膚がずるむけになった人…
見たこともないような死体や重症者たち。
破壊力のすさまじさに言葉もなく、確かな情報がない中、惑いながら必死に歩き回る。

そして、赤むけの膨れ上がった屍体がところどころに配置されていた。これは精密巧緻な方法で実現された新地獄に違いなく、ここではすべて人間的なものは抹殺され、たとえば屍体の表情にしたところで、何か模型的な機械的なものに置換えられているのであった。苦悶の一瞬足掻いて硬直したらしい肢体は一種の妖しいリズムを含んでいる。だが、さっと転覆してしまったらしい電車や、巨大な胴を投出して転倒している馬を見ると、どうも、超現実派の画の世界ではないかと思えるのである。(『夏の花』)

蒙古高句麗(ムクリコクリ)の雲とはよく云い得たものだ。さながら地獄から来た死者ではないか。今までのこの宇宙のなかに、こんな怪しげなものを湧き出させる権利を誰が持っているのだろうか。(『黒い雨』)

何もわからない投下直後でも、通常とは違う爆弾であろうことに人々は気づいている。
そのことが赤字部分から読み取れる。

一体、放射能の発明とは何だったのだろう。
核を原子力という言葉に言い換え、「原子力の平和利用」とうたわれた原発も、
平和でも安全でもなかった。全部嘘だった。

しかも原発を推進するため、被爆地・広島もその戦略の一環として組み込まれたということをこの本で知りました。

■原発とヒロシマ(岩波ブックレット)



(被爆者は、)自分を苦しめた放射能が平和のために転用されると考えることで気持ちを落ち着けた面があったし、核を平和利用に押し込めることによって軍事利用への道を閉ざせるという考えもあったと思う。

被爆した無辜の民の、平和を願う切なる気持ちを利用したという事実。何とあざとい。
全然知らなかった。衝撃でした。

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先日の新聞で、こんな投書を読みました。27歳の女性。
「原爆をテーマにした絵本を読み、東日本大震災のときの情景が蘇った。しかも原爆には放射性物質が含まれていたという。自分は戦争について知識が乏しいことに気付かされた。」

知っていることは生きている間に起きた東日本大震災のことで、
原爆のことは何も知らない。核爆弾であることすら知らないのだなぁと驚いた。

これからこういう人がどんどん増える。
広島では、戦後67年たち、原爆体験をいかに語り継ぐかということが課題になっているそうです。

戦争を語り継ぐということ。
皆で共有し、記憶するということ。
このことについて、次の記事で考えてみたいと思います。
| 原発 | 21:27 | comments(0) | trackbacks(0)
8月28日(火)スクラップブック

夜になると虫の声が聞こえるようになりました。
昼間はまだまだ蝉が大合唱してますが。

22日に次いで、27日、すべてのパブコメの集計結果が出たようです。
約8万9千件のうち、9割弱が「0%」を求めており、22日の途中集計時と同じ傾向だったとのこと。

パブコメは意見の分布が偏ると言われているけど、
原発ゼロの支持が目立つのは意見聴取会でも討論型世論調査でも共通した傾向のため、
「多くの国民が原発のない社会を望んでいると確認した」と総括する方針だそうです。

この総括を踏まえて「原発ゼロ」をめざす方向で検討に入る、と。
これまで政府は15%で考えてきたけど、蓋を開けてみたら違っていたと。

またまた手ごたえ感じますよ。
政府が方針を変えざるを得ないような方向へ、わたしたち主権者が導いているという感覚。
ガッツポーズしたくなる(笑)。

とか書いていて今twitterを見てみたら、やっぱり政府はパブコメを無視しようとしているのかね。
むー。
何なのだろう一体。こんなに民意が届かない政治って、何なのだろう。
命を守らず利権だけを守ろうとしているみたいに見える。

ついでに、またもんじゅくんがいいこと呟いてたよ。

原発をなくすとたいへんなことになるというけれど、とまったままでもそれが理由で海外に企業が移転したり貧困による自殺者が増えたりしましただか。それよりも原発があったために福島でたいへんなことが起こっていますだよ。どうしてその現実をみつめないまま、脱原発のことを非現実的だと笑うのかな。

現実というのはいますでに起こっていることのことですだよ。「原発をなくすなんて非現実的だ、はははは、これだから素人は」みたいなこといってるひとたちはヘンな夢をみていますだよ。ボクもんじゅのことを「夢の原子炉」とよぶときの「夢」です。そしてそれはご迷惑ですだよ。


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スクラップブック始めてみました。


これまでも切り抜きはしてたんだけどクリアケースに入れるだけだった。
もっと見やすくわかりやすく整理したくて、
原発に特化した記事をスクラップブックに貼ることにした。

スクラップブックなんて、夏休みの宿題で「戦争」をテーマに作った中学生以来です。
というかこれだけインターネットが普及した未来に生きていながらそのときと同じって…
アナログすぎるでしょ…!!

今時、こんなことしてるのは定年後のおじさんくらいかもしれないな〜、と思いつつ、
ジョキジョキ切って、貼るのであります。

さあ今日の分もやっちゃおう。

| 原発 | 20:48 | comments(0) | trackbacks(0)
8月22日(水)首都圏反原発連合と野田首相の面会
8月22日(水)14時から首都圏反原発連合と野田首相との面会がついに実現!

首都圏反原発連合は、7月22日(日)の記事で書いた、
毎週金曜日の首相官邸前デモのメンバーです。

20分の予定を10分延長して30分間。
わたしはそのころ、今ごろ官邸で…と想像してドキドキしながら仕事をしていました。

グループが警戒したのは、政権側の思惑やパフォーマンスに「利用」されることだったそうです。
官邸側は当初、面会を冒頭のみ公開し、中継もしないという条件を提示。
グループ側は仲介者を入れた交渉を重ね、面会の全過程の取材やネット中継を認めさせたとのこと。

マスコミでも大きく取り上げられていたよ。
NHK「ニュースウオッチ9」、テレ朝「報道ステーション」で観ました。
翌朝のNHKニュースでも(これ書いてるのは後日です)。

7月19日(木)の記事で書いた、慶応の小熊教授も参加されていましたね。
仲介した菅直人前首相も同席。

2012年8月23日の東京新聞より。

<再稼働平行線 脱原発団体と首相面会>

野田佳彦首相は22日午後、脱原発を求める官邸前での抗議活動を主催する「首都圏反原発連合」の代表者らと官邸で面会した。反原発連合側は関西電力大飯(おおい)原発(福井県おおい町)の運転再開の即時停止を求めたが、首相は応じず、議論は平行線に終わった。 

面会は約30分で、菅直人前首相も同席した。反原発連合側は、

 (1)大飯原発の運転再開の即時停止
 (2)大飯原発以外の原発全てを再稼働させない
 (3)全原発廃炉への政策転換
 (4)原子力規制委員会の人事案の撤回−などを文書で要求した。

首相は大飯原発の再稼働について「これまでの知見、対策を踏まえ、安全性を確認した上で、国民生活への影響も加えて総合的に判断した」と従来の説明を繰り返した。中長期的な原発依存度についても「きょうの意見も参考に、さまざまな意見を聞きながら判断する」と述べるにとどめた。
反原発連合側は「承服しかねる。福島の事故も収束していない。安全を保てない政府を国民は信用していない」と反発。首相に官邸前での抗議活動の参加者に直接、説明をすることを求めた。

首相と反原発連合との面会を受け、藤村修官房長官は記者会見で「一つの連合体との話はこれで終わっている」と、今後の面会予定はないとの考えを示した。

首相は反原発連合との面会後、日本商工会議所の岡村正会頭とも官邸で会談。原発再稼働の必要性などについて意見交換した。

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面会は、メンバーが一人ひとり意見を述べたのに対して首相はうなずくこともなく、
最後に再稼働への理解を求めただけでした。
話は完全に平行線。歩み寄るための話し合いではなかった。
選挙前のパフォーマンスでしかないといわれていますが、確かにそうなのでしょう。

その後、日本商工会議所の岡村正会頭と会ったとき、野田首相はどことなくホッとした顔をしていた。。

それでも。
一国の首相に面と向かって市民の声を伝える機会を得たことは本当にすごいことだと思う。
じわじわと、確実に影響を与えていると思う。

今回の面会、デモに参加した者としてうれしく思う。
市民の思いを伝えてくださったことに感謝も。
心から敬意を表したい。

もんじゅくんのtweetより。
一年前、官邸前で叫んだからといって首相に会えるとは、だれも思わなかったですだよ。首相にとってはただのポーズだとしても、官邸前抗議にはそのポーズを取らせるだけの威力があった。求めないことが美徳、というような空気がこれまでの日本にはきっとあったけど、求めつづけることがだいじですだね。


ソウルフラワーユニオンの中川敬氏も。
反原連と野田首相の会見終了。みんな、本当よくやってる。原発即時停止、規制委員会人事案撤回、福島の子供達の集団疎開の直接要求。端然と身体で訴えるとは正にこのこと。地に足の着いた活動の積み重ね。心から敬意を。しつこく粘り強く、原発全基廃炉行程に漕ぎつくまで、牢として声を上げ続けよう。


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その他、原発に関して22日に伝えられたニュース。
討論型世論調査では2030年時点の原子力発電への依存度でゼロを支持する参加者が討論を通じて33%から47%に増えたとのこと。

パブコメは8万9124件の応募があり、22日の委員会ではこのうち7000件の意見を分析した結果を発表。9割が原発ゼロを支持する意見だったとのこと。

パブコメは夏休みの宿題として一生懸命書いたし、
親や友だちにも勧めたから、この結果はうれしいな♪
手ごたえを感じます。

「これからもしっかりやりなさい」と励まされたような気持ちです。
難しい問題はいっぱいあるし、心身ともにしんどいことだけど、
じわじわと、しつこく、じゃんじゃん声を上げていこう、と改めて思う。
| 原発 | 23:32 | comments(0) | trackbacks(0)
7月22日(日)首相官邸前デモに行ってみた

7月19日(金)、疲れた体に鞭打って、小雨混じりの中、噂の首相官邸前デモに行ってきました。
地下鉄・霞ヶ関から外に出て、デモっぽい音のするほうへ…
反原発テント?みたいな名前のついたテントのあたりで女性から白い風船をもらって、
「デモに参加するにはどこに行けばよいのでしょう?」と聞くと、
「首相官邸はあっちですよね。人がいっぱいでしょうけどね」とのこと。とりあえずそちらのほうへ。

その間にも、太鼓を叩いて「再稼動反対!」と言いながら練り歩く数人の人たちが通り過ぎる。

歩道は人でいっぱい。
白い風船を手にした人たちがずううっと前のほうまで…どのくらいの人数なのか皆目わからない。
これ以上前に進めないので、立ち止まる。ここは国会正門前、のようだ。


「再稼動反対!」「再稼動反対!」
若者、年配の方、子連れの親子、会社帰りと思われる女性、
まさに老若男女。色々な人たちが声を上げている。

初めてなので要領がわからないけど、とにかく「再稼動反対!」と言い続ける。
時刻は6時半。これって8時で終わるんだったよな。これから1時間半立ちっぱなしでこれを唱えるのか…。

風船の持ち手はパンダだった。そういえばパンダ死んじゃったね。残念だった。あれ? 皆さんの見ると、色んな動物がいる。へー。

あ、取材受けている人、写真撮ってる人もたくさんいる。

車道を車やバイクが通り過ぎていく。
i-padをいくつか車窓に設置した車。電光掲示板のようにして「脱原発」とか「原発反対」といった文字が流れていく。すごい!
自転車の人もたくさんいた。家族連れだったり、カップルだったり、友だち同士だったり。
皆さん拳を挙げて「再稼動反対!」と唱えながら。
わたしたちも手を挙げて応える。

正門あたりに10人くらいの人が立っている。国会で働く人たちなのかな?

てなことを考えながらひたすら「再稼動反対!」と叫ぶ。
途中、「再稼動犯罪!」という声も混じっていた。

段々疲れてきて、何も考えずに唱えるだけという状態に…。
そもそも「再稼動反対!」っていうか「原発反対!」って言いたいんだよな…。大飯だけが問題じゃないんだから。
皆さんそう思っているだろうけど。

と、隣のおばさんが飴を差し出して「なめますか?」と。
や、優しい…ありがとうございます。黒糖の飴。甘さが沁みます。

飴に活力を得てもうひと叫び。
8時きっかりに終了。

けっこうしんどいな…というのが正直な感想。
太鼓や鳴り物の音に励まされて何とか唱え続けたけど。
あと車道を行く人たちの格好なども目を楽しませてくれた。

これだけ文明が発達しても、わたしにできることは、体を使うことだけなんだと改めて感じる。
それはとても弱い。叫んでも叫んでもかき消されてしまう。だからたくさんの人が集まってつながる必要があるのだけど。
「再稼動反対!」と叫ぶだけではちょっと頭使ってない感じがしてね…正直(あ、自分が頭使っていないということです。誤解なきよう)。

翌日の朝日新聞は、この日のこのデモのこと、取り上げていました。参加者は主催側発表で9万人。
鳩山元首相もデモ側に立ったんだってね。でもこの方は原発推進派だったとのことだから、
どう考えたらいいのかよくわからないけど。

金曜の夜にここに来ればデモをやっているという状況を作り出したことはすごいと思う。
これからどうなるか、だ。

| 原発 | 10:16 | comments(0) | trackbacks(0)
7月19日(木)今こそ声を上げよう(デモ+パブコメ)

わたしは昨年10月1日の記事で、
「脱原発を訴える市民の声は、それほど大きなうねりにはなっていないんじゃないか」と書きました。

しかし16日の「さようなら原発10万人集会」は参加者17万人、
3月下旬から始まった首相官邸前デモは徐々に参加者を増やし、2週連続15万人。
すごいことです。今、ようやく運動の高まりを感じます。

官邸前デモはエジプトの「ジャスミン革命」になぞらえて、「紫陽花革命」と呼ばれていたりもするらしい。紫陽花を手にした人々が集まってきていたりもするらしい。

「らしい」ばかりなのは行ったことがないからで…
明日20日(金)、ちょっくら行ってみようと思うのです。そしたらまた書きます。

このデモはなかなかマスコミに取り上げられず、
わたしはtwitterで熱い空気を感じていたのですが、
ここに来てようやく新聞(朝日)でも記事を見かけるようになってきました。

今日の朝日新聞でも大きく取り上げられていたよ。慶応大教授の小熊氏のインタビューとルポ。
「デモの文化がない」と言われたこの国で、人々が街頭に繰り出し始めた、って。

「『再稼動反対』という声には『日本のあり方』全体への抗議が込められていると思います」




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前回、デモだけでは政治は変わらないと書きました。
だけど、それとデモを批判するのは違うと思います。
16日の集会で内橋克人さんが、今の空気に警鐘を鳴らすとしてこのようにおっしゃっていました。

第一に「原発反対などと叫んでみても意味が無いという」脱原発運動へのあざけりの空気がかもしだされはじめたということです。
「原発の代わりはどうするのか、対案無く反対を言っても意味が無い」というものです。
しかしけっしてそうではありません。対案無ければ反対なしというのは、常に政府・官僚が主権者である国民市民をおどす口を封じさせるための常套手段です。ここを見抜かなければなりません。
核心となる情報を隠しておいて「お上の言うことに楯突くことはけしからん。対案を出せ」こういう仕組みです。私は承伏できません。
そうではないでしょう。人びとの魂に根づく平衡感覚とか鋭敏な危険察知能力。あるいはおよそ命ある者に必ず備わっております、畏怖心。そういったものこそが、安心社会の礎であります。


まったくその通りだと思います。
わたしは昨年漠然と感じていたことが間違っていなかったと証明していただいた気分でした。
昨年10月1日に書いたこと(↓)。

原発に代わるエネルギーを提案できなければ、「原発はいらない」と訴えてはいけないの?
原発は危険すぎるからやめよう、その代わりみんなで電気の使用量を少なくするように努めようと呼びかけ、原発に代わるエネルギーを、エネルギーの専門家や政治家に真剣に考えてもらおうと訴える…これが市民にできることだと思う。


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そしてわたしは、デモ以外にできることを見つけました。それは、パブリックコメントを書くこと!
恥ずかしながら知らなかったのです(もともとがノンポリなので疎いのです…)。
自分の意見を政府に送ることができるのです。
締め切りは8月12日(日)18:00だそうです。

ファックスでも郵送でもネットでもOK。ネットが一番簡単ですね。こちらから送れます。

ただ、
このサイトこのサイトで紹介されているように、ちょっとした書き方のコツがあるようです。
でも難しいことを書く必要もないし、長い文章でなくてもOKなんですって。
わたしたち大人にとっての「夏休みの宿題」では? ぜひ挑戦してみましょうよ!

こちらも参考になります。パブリックコメントの書き方

| 原発 | 22:50 | comments(0) | trackbacks(0)
7月18日(水)7月16日「さようなら原発10万人集会」のこと
三連休最後の16日、さようなら原発集会@代々木公園に行きました。
昨年9月16日に参加したのと同じ集会です。生まれて2度目のデモ体験。
何も持たずに一人で出かけた昨年とは違い、今回は二人で。プラカードも一緒に作って行きました。

大勢の人が広い代々木公園を埋める。
頭上ではヘリコプターが旋回する大きな音。
太陽が容赦なく照りつける中、小室等さん率いるバンドの音楽を聴き、
呼びかけ人の大江健三郎さんらのお話を聞きました。


大江健三郎さんは、昨年9月の集会に「注意深い市民」が集まったことに驚き
この運動は勝つと確信したことや、
しかし先月750万の署名を提出した翌日に、野田首相が大飯原発再稼働を決めたこと、
これについて中野重治さんの短編「春さきの風」を引用しつつ、
「私たちは侮辱されているということだ」と感じていることなどを話されました。
わたしはこれからも「注意深い市民」でいなくては、と思ったし、
そうか侮辱されているということなのかと、改めて憤りも感じた。

坂本龍一さんは、
「たかが電気のために、なぜ命を危険にさらさなければならないのか。お金よりも命が大事だ」と。
まったくその通り!

スピーチの合間に、司会者の方から「参加者は17万人」との情報が。
すごいことですね。こんなにたくさんの人が、原発は嫌だと声を上げるべく集まっている。
この場には来ていないだけで、本当はもっともっと、何倍もの人々がそう思っている。

集会の後はデモ行進に参加。
声を上げるというのは爽快なものです。
しかし今回は労組系の集団に連なってしまったため、
「最後まで戦い抜くぞ〜!」といったシュプレヒコールには少々困惑。

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わたしはプラカードに「危険な便利より豊かな不便」と書きました。
電気は便利です。スマートです。
わたしたちは大量の電気=豊かさと勘違いしてきた。
でもそれは違っていた。
しかも核分裂の熱を使った原子力発電による電気はものすごく「危険な便利」だったのです。
今こそ生活を変えたい。危険な便利よりは不便な豊かさを選びたい。そんな気持ちです。


そして、電力の使用を抑えることは原発をなくすためにすごく大事だと思う。
たくさんの電力が必要なければ原発はいらないのだから。

-----
集会で話を聞くことはとても勉強になります。
興味のある方はぜひお読みください。
動画も探せばたくさん出てきますよ。

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でも、デモだけでは政治は変わらない。
下の文章(7月4日の朝日新聞社説)のように、
政策の変化につなげる試みを強めるにはどうしたらいいかを考えなくてはならないんだろう。

原子力政策で国民的論議をめざす野田政権にとって、「音」ではすまない動きが今、目の前で起きている。むしろこの動きを、既存の政治回路ではとらえ切れない声を直接聴く仕組みづくりにつなげるべきである。
反原発の側も、その動きを実際の政策の変化につなげる試みを強めてはどうだろう。
「原発停止で電気料金があがっても、これくらいなら受け入れる」「節電をもっと進めるから、リスクの高い原発から廃炉に」といった話を、地域や集会などでもっと積み重ねる。その成果を束ねて、政府や電力会社に異論の声を届ける。
そうしてこそ、声は、政策への影響力を高められる。


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67年前のこの日(1945年7月16日)、アメリカのニューメキシコ州において人類初の核実験が行われたそうです。
それから1月もしないうち、8月6日に広島、8月9日に長崎に原爆が落とされた。

そして戦後、日本人は「原子力の平和利用」というフレーズで、
核と原子力を別物として刷り込まれてきた。
でも原子力の平和利用なんて、無理だったのです。
| 原発 | 23:28 | comments(0) | trackbacks(0)
11月8日(火)9.19「さようなら原発集会&デモ」武藤類子さんの演説

もう約2カ月前の話ですが。
一向に収束しない原発事故。一方ですでに忘れかけようとしている首都圏の雰囲気。
このままではいけない、何とかせねば…
その思いだけで、9月19日、明治公園で行われた「さようなら原発集会&デモ」に行ってみた。
勇気を出して。思い切って。
一体何をしたらよいのかわからず、だけど、何かしたくて。いても立ってもいられなくて。

こういう集会に参加するのは初めて。
たくさんの人、たくさんの上り旗。○○組合、○○連合、○○党…、
場違いだったかしらと心細くなる。


不安な気持ちのまま、とにかく演説を聞いた。
人が多くて、舞台に近づけない。かなり離れたところから聞いていたため、演説者のお顔はまったく見えない。声に耳を傾ける。
落合恵子さん、大江健三郎さん、別の集会に出ていたため遅れたという山本太郎さん…それぞれ素晴らしかったけれど、一番印象に残ったのは福島から来られた女性のお話だった。

思わず途中から、かばんの中に入っていたICレコーダーを取り出して録音してしまったほど。

今日twitterで知ったのですが、その演説が文字起こしされてネットにアップされている!
こちらです。

武藤類子さんという方の演説だったのですね。

皆さん、福島はとても美しいところです。東に紺碧の太平洋を臨む浜通り。
桃・梨・りんごと、くだものの宝庫中通り。猪苗代湖と磐梯山のまわりには
黄金色の稲穂が垂れる会津平野。そのむこうを深い山々がふちどっています。
山は青く、水は清らかな私たちのふるさとです。

3.11・原発事故を境に、その風景に、目には見えない放射能が降りそそぎ、私たちはヒバクシャとなりました。
……

涙が出るのでした。周りの人も泣いていました。
マスコミ報道ではなく生の声を聞いたのは初めてでした。「そうだったのか…」の連続。

そして、こんなことがあってよいはずがないと怒りがわくのでした。
自分のふるさとがこんな目にあったらと思うとたまらない気持ちになるのでした。
そのような気持ちで、日本人全員が、一人ひとりが原発問題を考え、行動しなくてはならないと思いを新たにするのでした。

ぜひ、リンク先をクリックして動画をご覧になってください。10分間のスピーチです。
文字起こしされた文章を読むこともできます。

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勇気を出して、来てみてよかったと思いました。
デモにも参加し、表参道、渋谷の街を「原発反対! いのちが大切!」と口に出して歩き回った。
いつも思っていても言えないことを声にして訴える心地よさ。仲間がいる心強さ。
街で買い物を楽しむ沿道の人たちのなかには、ニコニコ笑って手を振って同意を示してくれる人もいた。
終点地点まで行って折り返して来る人たちも手を振ってくれる。わたしも手を振り返す。
同志がいる。また涙が出そうになった。

自分の意思で行動することができたこと、
原発はいらないと声をあげられたこと、
福島の方の生の声が聞けたこと、
同志がいると確認できたこと。

緊張もしたし不安もあったけど、大きなものを得た。
その日のニュースで、この集会&デモには6万人もの人が集まったと聞きました。



最後に、武藤さんの演説の最後の部分から。
本当におっしゃるとおりだと思う。
やはり一人ひとりが考え行動しなくては。本気で。わたしたちにはその力がある。

人類は、地球に生きるただ一種類の生き物にすぎません。自らの種族の未来を奪う生き物がほかにいるでしょうか。 
私はこの地球という美しい星と調和したまっとうな生き物として生きたいです。
ささやかでも、エネルギーを大事に使い、工夫に満ちた、豊かで創造的な暮らしを紡いでいきたいです。

どうしたら原発と対極にある新しい世界を作っていけるのか。誰にも明確な答えはわかりません。
できうることは、誰かが決めた事に従うのではなく、ひとりひとりが、本当に本当に本気で、自分の頭で考え、確かに目を見開き、自分ができることを決断し、行動することだと思うのです。ひとりひとりにその力があることを思いだしましょう。

| 原発 | 23:49 | comments(0) | trackbacks(0)
11月1日(火)大地を思いやるという感覚

秋も深まり、気がつけば11月。
今年もあと2カ月しかないというわけで慌ててブログを書いてみたり。

放射能のことは、いつもどこかで気にしている。
雨が降れば濡れても大丈夫なのかなと心配になるし、水も飲めないし、
お茶を飲むにも野菜や魚を食べるにも、気にしないわけにはいかない。

だけど、雨に濡れたり食べたり飲んだりしないわけにはいかない。

なんということだ。
そんな事態になったことが、そんな時代に生きることになったことが、悲しくてやりきれない。
わたしたちの自然を返してほしい。

福島では村がいくつも消えた。
子どもたちが外で出られなくなっている。砂場で遊べなくなっている。
子どもは自然と触れ合いながら成長するというのに。
それを禁止しなければならないとは。自然と触れ合って生きることができなくなったとは。
子どもたちから人生の喜びを奪わねばならないとは!

チェルノブイリ以上だって?
あぁ、なんということが日本で起きてしまったのか。

そして放射能の問題と同じかそれ以上に不気味なのが、
これだけの大事故を起こした日本がいまだ目覚めず、反省もせず、
物事の本質を見ようとしないこと、変わろうとしないことだと思う。
「安全です」と繰り返される報道は「戦争に勝つ」といい続けた大本営発表そのもの。

わたしは、自分がこれまで生きてきたなかで、権力の恐ろしさを、国の無責任さを、
こんなにも骨身に染みて感じたことはなかった。

今こそ、本当にわたしたちの生き方が問われていると思う。
もっと、もっと、危機感をもたなくてはいけないと思う。
本気で変わらなければならないと思う。
この国には、そういう覚悟が、気概があるだろうか。甚だ疑問です。

-----
『婦人之友』9月号の「風にきく、大地のうた」という座談会記事を読みました。
フランス国立社会科学高等研究員教授のベルク氏が、こんな発言をしてました。

人間の「人」は私たちの個々の存在、「間」は間柄、
つまり人間の共通的な面を表すのですね。他の人との関係だけではなく、自分の環境のものとの関係でもある。それを大事にしなくてはならない、そうでなくては人間にはなれない。


そしてその間柄とは、現在だけではなく将来についても言える、と。
だから、放射能や廃棄物を子孫に残す原子力は人間の構造を否定する、と。
原子力は風土にとって一番根本的な人間の存在に反する、とおっしゃる。その通りだと思うんです。

この座談会の冒頭に、
アイヌの詩人・宇梶静江さんの「大地よ」という詩が載っていた。

大地よ
重たかったか
痛かったか

あなたについて
もっと深く気づいて
敬って

その重さや
痛みを知る術を
持つべきであった

多くの民が
あなたの
重さや痛みとともに 波に消えて
そして
大地にかえっていった

その痛みに
今 私たち
残された多くの民が
しっかりと気づき
畏敬の念をもって
手をあわす

自分たちよりも大地のことを先に考えるとは、なんという心やさしい感覚なのでしょう。
こんな感覚がわたしたちに備わっていたら、原発の事故は起こらなかった。

ニュージーランドのマオリの人の自己紹介は、今でも
「私の山は○○です。わたしの海は■■です」で始まるそうです。
自然が自分を作っていて、その絆が切り離されたら自分は存在しないという考え方。

原発は何かあったとき、その場所性を全部断ち切るもの。人間が人間として存在できなくなるってことだと思う。
子どもたちが野や、山や、海で遊べない世界なんて、絶対に間違っている。
自然を思いやる心も育ちにくくなるでしょう。
この悪循環を断ち切りたい。

今こそ取り戻したい。
わたしたち先進諸国の人間が勘違いして、奢って失いかけた、いや完全に失ってしまった、
大地を思いやるような感覚を。

| 原発 | 21:48 | comments(1) | trackbacks(0)
10月22日(土)わたしたちは星のかけらでできています〜柳澤桂子著『いのちと放射能』

さて、先日先送りにしました、
いのちと放射能』柳澤桂子著(ちくま文庫)をご紹介します。


まず申し上げたいのは、「この本は大変素晴らしいので、ぜひ一人でも多くの方に読んでいただきたい!」ということ。
4冊のうちどれかをおすすめするならばコレです。
文字も大きく、あっという間に読めます。しかしその中に、わたしたちにとって大切な視点や有用な情報が盛り込まれています。

わたしはすでに2回読みました。
今後も繰り返し読んでいきたいと思っています。

著者は生命科学者の柳澤桂子さん。
放射能がなぜ恐ろしいかを、生命科学的な観点からしっかり説明してくださいます。
話は宇宙的なスケールに及びますが、それは放射能というものがそれほどのスケールで考えなければならないほどに恐ろしいものだからです。

構成の立て方がしっかりしていて、
目次を眺めるだけでも大切なことが伝わってきます。

私たちは星のかけらでできています
DNAはいのちの総司令部
DNAは親から子へ受けつがれます
放射能を浴びるとどうなるのでしょう
弱い放射能がガンを引き起こします
放射能はおとなより子どもにとっておそろしい
お腹の中の赤ちゃんと放射線
少量の放射能でも危険です
チェルノブイリの事故がもたらしたもの
人間は原子力に手を出してはいけません
これ以上エネルギーが必要ですか
それはこころの問題です
ひとりひとりの自覚から

話は宇宙誕生の歴史から始まります。
150億年ほど前に宇宙が生まれ、46億年ほど前に地球が生まれ、生物が生まれた。

地球上にある、水素、酸素、炭素、窒素などに稲妻や紫外線が働いて、くっついたり、離れたりしているうちに、いのちのもとになる分子が偶然にできあがったと考えられています。
私たちはお星さまのかけらでできているのです。

「私たちはお星さまのかけらでできている」。
なんだかドキッとします。そんなふうに考えたことなどなかった!
でもわたしたちは宇宙の一部なんだと。
“お星さまのかけら”か…
重要な視点だし、素敵なフレーズですよね。いつも心に留めておきたいです。

で、宇宙的なスケールで考えると、人間の歴史がいかに短いものであるか。
それがわかりやすくまとめられている箇所。

地球ができてからの45億年を一週間に縮めてみましょう。
地球の誕生を月曜日の午前零時とすると、生命が生まれたのは水曜日のお昼頃になります。
日曜日の午後4時に恐竜があらわれ、日曜日の夜中、23時57分に人間が誕生しました。
私たちはたった3分の歴史しかもっていないのです。

一週間のうち、たったの3分!
放射能の問題とは、その新参者の人間たちが宇宙に対して何をしようとしているか…ということなのです。

生物の特徴は分子をコピーしてどんどん増えることであり、放射能がなぜ恐ろしいかといえば、
それが細胞の中の情報テープ(遺伝子)に傷をつけることであり、その傷は子孫に伝え続けられるということなのです。(p.94より)

そのことを説明するために遺伝子(DNA)について詳細に説明されていて、ここはかなり難しいのですが、ざっくり頭に入れておくと放射能の恐ろしさを理解するのに役立ちます。

情報テープ(遺伝子)の中の文字がたった一つ違っただけでも大変な病気を引き起こすということ。
それが子孫に受け継がれていくということ。
細胞分裂中にDNAが複製されるときが最も放射線に弱く傷つきやすいということ。
放射能は少量でも危険であり、ガンを引き起こす可能性があるということ。
「何シーベルトまでなら大丈夫」なんてことは絶対にないのだということがわかります。

-----
一体、どうしてこのような事態に陥ったのでしょう。
それは「人間の弱さ」が問題なのではないかと柳澤さんは書いておられます。
「それはこころの問題です」と。

環境汚染は放射能だけではないことを私たちはよく知っています。
(略)
なぜクリスマスにみごとなイチゴを食べなければならないのでしょうか。
(略)
なぜ「ぬかみそ」をモーターでかきまぜなければならないのでしょうか。
消費電力の問題ではありません。こころの問題です。
(略)
おそらく私の知らないような不合理なことが、もっともっとおこなわれていることでしょう。
不合理の親だまが原子爆弾であることはいうまでもありません!
一部の人がより大きな利益を上げるために、環境はどんどん汚染されていきます。
私たちは何の考えもなしに一部の人たちの欲に踊らされて快楽にふけっています。
(略)
快楽に大きな危険と犠牲がともなっていることに気づいているでしょうか。
快楽をいくら追い求めてもそこに満足は得られないことに気づいているでしょうか。
欲望は際限なくふくらむことに気づいているでしょうか。
快楽も欲望も捨て去ったところに本当の満足があることを知っているでしょうか。
(pp.105-107)

-----
この本は、チェルノブイリの事故後に書かれたものです。
ショッキングな情報がたくさんあります。
チェルノブイリの事故によって起きたガンによる死者がどのくらいになるか、それをはっきり統計的に証明できないところにこそこの問題の恐ろしさの一端がある(p.88)
というのもそう。
放射能というのはそういう恐ろしさがある。

なおかつチェルノブイリの事故に関して、
カルフォルニア大学のゴールドマン氏の計算がふたつの恐ろしい事実を示すと書かれています。

,錣燭靴燭舛呂垢任砲修鵑覆吠射線を浴びてしまっているということ
▲船Д襯離屮ぅ蠅了故ではこれまでの全世界の核実験に相当すると言っていいほどの放射能が漏れたと考えられること

今回の福島の事故はチェルノブイリ以上と伝えられています。
つまり、わたしたちは今、思考停止に陥りそうなほどに、恐ろしい状況に生きているのです!
認めたくはありません。考えたくもありません。でも、これが現実なのです。

わたしにできることは、電気、水、紙…資源を節約して大切に使うこと、
脱原発のデモに参加すること、
自分が知り得た情報をこうしてブログに書いて紹介することくらいです。
この期に及んで原発を推進しようとする勢力に比べあまりにもちっぽけです。
でも、何もせずにはいられません。

わたしには子どももいないし、東北に親戚もいません。
だけど子どもがいるからとか、福島と関係があるとかそういう人だけの問題ではないと思うのです。
生命と自然への冒涜はやめましょうよってことなのです。

だって、わたしたちは星のかけらでできているんだから!☆★☆

柳澤さんの言葉を結びの言葉を引用します。

目覚めようではありませんか!
地球と生命をまもるのはわれわれ庶民なのです!
子孫に美しい地球を残すために世界の人々と手を取り合って、ひとりひとりが自覚して行動する勇気をもとうではありませんか。

「文庫版への長いあとがき」では、
「放射能の恐ろしさをお友達に、家族に知人に話していただきたい。人類は滅亡するかも知れないのだ。私たちは節約をして生きなければならない。特に電気は節約しなければならない。力を合わせて、地球を守ろうではないか!」と書かれています。
だからわたしはこの記事を書きました。

-----
「美しい地球を守る」なんて言うと、ちょっとね、
使い古された感のあるメッセージだし、話が大きすぎてピンとこない、ですよね。
何熱くなってんの?うっとおしいって思われそうな気もします。
伝えるってことは難しいです。

でもね、ほんとに大切なことって何なのかってことなんです。生きるうえで本当に大切なこと。
電気を消費するだけ、欲望や快楽だけでは本当の意味では豊かにはなれない。

ぜひ本書をご一読ください。
手と手を取り合いましょう。おのおのが自覚して行動しましょう。
柳澤桂子著『いのちと放射能』(ちくま文庫)定価560円です。

| 原発 | 01:23 | comments(10) | trackbacks(0)
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